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英賀合戦(その①) - 軍師官兵衛-NHK大河ドラマ-プラットホーム

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英賀合戦(その①)

かわず:この前は、青山・土器合戦(→掲載ページ)について話したけど、今日は英賀(あが)合戦のことを話そうか。

さっちゃん:また、懲りもせんと隣の赤松政秀が攻めてきたん?

かわず:いや、今度は相手の格が違う。西国の雄、毛利や。なぜ、そんなことになったんかは、官兵衛さんが姫路城の家老を任されていた1500年代後半の日本の状況を理解せなわからん。
 当時、都の実権は「天下布武」を唱えて、他の武将から頭一つ抜きん出た織田信長が握ってた。残された信長の強敵といえば、甲斐の武田と越後の上杉謙信、それに全国の一向宗徒の総本山、石山本願寺やったが、まず、信長は、日本最強といわれた武田の騎馬軍団に壊滅的打撃を与えて(長篠合戦)、天下にもう手が届こういうところまできてた。これに脅威を感じた時の室町将軍、足利義昭は、このとき、信長によって都を追われてたんやが、毛利と石山本願寺の連携を図って、信長に対抗させようとしてた。西国の覇者、毛利は、それまで毛利元就の家訓によって天下を望むことに消極的やったが、このまままんじりともせんと状況を座視してたんでは、信長に攻め滅ぼされるというんで、播磨や他の隣国に積極的な攻勢をかけてきた。

さっちゃん:なるほど。播磨といえば、京、摂津と毛利の間に位置してるから、織田信長、毛利両方から狙われたというわけね。

かわず:そう、そう、そのとおり。それまでは織田信長にも毛利にも、どっちつかずで日和見しててもよかったけど、ここまでくると織田信長に組みするか毛利に加担するか、旗幟をはっきりせんと、生き残ることができん状況に立たされたんや。
 で、官兵衛さんの登場。官兵衛さんは、信長の働きをつぶさに調べて、信長こそが天下の覇者になると考えた。ほんで、みんなに織田に帰順すべきことを説きに説いたんや。小寺家でも守旧派は毛利に加担することこそ小寺家の生きる道だと考えてたけど、官兵衛さん、これを得意の弁舌で説得し、遂に信長に帰順する方向で皆の考えをまとめた。そして、岐阜にいる信長にその結果を伝えにいったんや。

さっちゃん:当然、信長は喜んだやろね。

かわず:なんせ、信長は「であるか」ぐらいしか言葉を発せん人やったみたいで、常に直球勝負。官兵衛さんの弁舌を聞いても、あんまり声に出して喜んだ形跡はない。でも、信長は、このとき官兵衛に、愛蔵の「圧切」という名刀を与えたいうから、まあ、「ういやつじゃ。よしよい」いうことやったんやろな。
 これを脅威に感じたんが、姫路の隣、英賀城に拠っていた、英賀城主の三木通秋や。三木通秋はすごく熱心な一向宗徒やったから、一向宗の総本山、石山本願寺と事を構えてる織田信長を敵とみなしてた。このままやったら信長に攻め滅ぼされる。ここは先手必勝。毛利と結んで姫路城を攻めようと考えたんやな。
 さあ、いよいよ合戦やで。力が入ってきた。さっちゃん、その前に景気づけにビール、ビール。

さっちゃん:もう、すぐそれやから。1本だけよ。

かわず:1576年4月のことや。当時、毛利は瀬戸内海の制海権を握ってたから、毛利軍は、毛利水軍の浦宗勝を大将に、200艘の船に5000余名の兵を分乗させて、姫路の南西1里、夢前(ゆめさき)川の河口から英賀港に上陸した。対する官兵衛の軍勢は1000余名。5倍からの違いがあった。真正面から戦ったんでは勝ち目はない。そこで、官兵衛さんがとった作戦は、青山・土器合戦と同じ奇襲戦法やった。
 ところで、さっちゃんは、火坂雅志いう作家しってるか?

さっちゃん:知ってる、知ってる。あの直江兼続のことを書いた「天地人」の作者やろ。妻夫木聡大好きやから、NHK大河ドラマの天地人、よう一緒に観たもんね。

かわず:そう、その火坂雅志が、竹中半兵衛と黒田官兵衛のことを描いた「軍師の門」いう小説がある。この中にこの英賀合戦のことが臨場感豊かに書いてあるから、よっしゃ、ここで俄か講談師になって、その部分を読んでみるわな。

さっちゃん:よっ、待ってました! かわず師匠!

かわず:浦宗勝ひきいる毛利水軍が英賀に上陸したのは、5月13日夜半のことである。大将の宗勝はじめ、毛利の諸将は英賀城に入ったが、多くの兵たちは城から姫路方面へ押し出して野陣した。
その夜―
 斥侯からの急報を受け、官兵衛は動いた。折りよく空は雲っている。月も星もない。真っ暗な夜道を、小寺軍は息を殺してひたひたとすすんだ。
 暁闇の頃、行く手に野営する毛利軍のかがり火が見えてくる。
 上陸したばかりで、さすがに夜襲はなかろうと気を緩めているのか、寝ずの番をする人影もほとんど見えなかった。
 朱塗合子形兜(しゅぬりごうしなりかぶと)をかぶり、黒糸縅洞丸具足(くろいとおどしどうまるぐそく)に身を固めた官兵衛は、かたわらに影のように付き従う弟の利高、利則、直之、それに母里太兵衛ら、重臣たちを振り返った。
 みな、闇の中で目ばかりをぎらぎらと光らせている。どの男も決死の覚悟である。
「敵の首級(しるし)は拾わずともよい。打ち捨てにせよ」
 低く押し殺した声で、官兵衛はいった。
「自分の功名よりも、戦いに勝つことだ。生き抜いただけで大手柄と思え」
 その言葉に、男たちは無言でうなづいた。ふたたび前方のかがり火に目を向け、深く息を吸い込むと、官兵衛はしずかに采配を振り下ろした。
 先陣の母里太兵衛が、腹の底から喊声を上げ、明け方の空気を切り裂いて敵陣めがけ馬を走らせた。
 つづいて、野村太郎兵衛、吉田六郎太夫、桐山孫兵衛ら騎馬武者が、兵たちとともに地響きを立てて突進する。
 突然の襲撃に、毛利軍は騒然となった。
 あわてて飛び起き、刀、槍をつかんだものの、ろくろく防具をつけている暇がなく、戦う心構えができていない。
 何が起きたかわからぬまま、小寺方の放つ銃弾、弓矢に倒れ、槍で突き伏せられ、屍の山を積み上げていく。闇の中で敵味方を勘違いし、同士討ちを始める者まで出る始末である。
 かろうじて混乱から抜け出した者が英賀城へ走り、大将の浦宗勝に変事を伝えた。
 「夜襲か」
 浦宗勝はさすがにあわてなかった。小寺方は小勢ゆえ、姫路城から打って出ることはあるまいと判断していたものの、戦いにはこの手の予想外の出来事がつきものである。うろたえず、冷静に状況を見定めることが肝心だった。
 
 ああ、疲れた。さっちゃん、もう1本、ビール、ビール。

さっちゃん:仕方がないわねえ。もう1本だけよ。けど、なかなか、あんたの講談、臨場感があってよかったやん。ようわからんかったんは、なんとか兜になんとか具足。あれって何?

かわず:朱塗合子形兜(しゅぬりごうしなりかぶと)に、黒糸縅洞丸具足(くろいとおどしどうまるぐそく)やな。これは官兵衛さんが愛用したとされる兜と具足のことや。1500年の後半から、南蛮文化の影響を受けて、大名の間で形兜(なりかぶと)という個性的な兜がはやりだした。兜にも流行があったいうこっちゃな。官兵衛さんの形兜は、これまた個性的でな。お椀を逆さにしたようなけったいな兜やねん。なんでこんな兜を被ろういう気になったんやろな。どうもその由来ははっきりしてへんみたいや。

kabutomaru2.jpg   kurodaかんべえかぶと

さっちゃん:そういえば、直江兼続の兜は「愛」の文字を形どったもんやったわね。あれもけったいといえばけったいやった。
かわず:合子形兜は官兵衛さん愛用の当世具足やけど、1説によれば、あの兜は九州の関が原と呼ばれた「石垣原の戦い」で使われたにすぎないらしい。まあ、それはさておいて、英賀の戦いの行方や。                                                                     (次回に続く)

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