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播磨国ってどの辺り?

■ はじめに
 
 大河ドラマでは、黒田官兵衛が姫路城の家老職についているところから物語は始まりそうです。その姫路城は播磨国の中にありました。といっても播磨国って今でいえばどの辺りと聞かれても明確に答えることができる人はそういないと思います。
 そこで、ここでは官兵衛が活躍していた時代の播磨国とはどの辺のことをいい、当時、どのような状態だったのかを見ておきたいと思います。



■ 播磨国ってどの辺り?


 忠臣蔵で有名な赤穂藩は播磨国の中にあります。よく「播州赤穂の浪人が・・・」なんていいますよね。その播州とは播磨国の別名です。では、今でいえばどの辺りが播磨の国になるのでしょうか。
 ごく大雑把にいえば、現在の兵庫県の南西部一帯です。今の地名でいえば、東は神戸市の西区、垂水区。須磨区須磨ニュータウン辺り、北は朝来市、佐用町、生野町辺り、西は、赤穂市、相生市、上郡町辺りになります。 播磨国郡別略図をみてみましょう。

播磨国地図

 播磨の国は、下に掲げた当時の地図を見ると、東は丹波の国、摂津の国、北は但馬の国、因旛の国、西は美作の国、備前の国に接しています。 

戦国日本地図


■ 播磨の国の大名
 
 官兵衛が姫路城の家老だった時代(1560年代)は、全国各地に戦国大名が群雄割拠していた時代でした。
 播磨では西に赤松氏、中央に小寺氏、東に別所氏が割拠し、それぞれに覇をとなえてあい争っていました。官兵衛の先祖は赤松氏に仕えていましたが、父の代からは小寺氏に仕え、小寺氏の支城姫路城の家老として重用されていたのです。
 ちなみに小寺氏の居城は御着城で、姫路城の西方に位置していました。秀吉に攻められて焼け落ち、今は現存しません。今の姫路市御国野町御着に城跡の石碑が立っています。
 
御着城石碑 

 目を播磨の国の外に転じると、東には史上最強とうたわれた騎馬軍団を破って日の出の勢いの織田信長が天下を狙い、西には中国のほぼ3分の2と九州の一部を制圧して泰然と構え、これまた天下に覇をとなえようとしている毛利氏がいます。
 播磨の領主たちはその狭間にあって、どちらに組するのが得策か揺れ動きながら、お互いにあい争っていたのです。

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