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黒田三兄弟ー利高、利則、直之ー

■  官兵衛の3人の弟
 
 官兵衛には3人の弟がいる。黒田兵庫助利高、黒田修理助利則、黒田図書助直之である。この3人の弟が家中を内から支えた功績は大きい。3人とも黒田八虎に名を連ねている。
 利高は、小寺職隆(もとたか)の次男、官兵衛の実弟、利則は職隆の三男、官兵衛の異母弟、直之は職隆の四男、官兵衛の異母弟にあたる。
 

■ 黒田利高

 実直で柔和、物事に動じない思慮深い性格だったといわれる。甥の長政が黒田家の家督を継ぐと、その後見役として家中を安泰に導いた。
 こんな逸話が残されている。
 長政の駕籠に道で出会った際、馬から飛び降りた利高は、頭を地につけて平伏した。長政は年下の甥である。本来ならそこまでする必要はないのだが、家臣に自ら手本を示すためにこんな所作をしたのだった。
 信長の中国攻めから秀吉の馬廻り役となり、天正14年(1586年)からは官兵衛と長政の下で働いた。1596年、享年43歳で惜しまれつつ病没した。

■ 黒田利則

 兄、利高とともに秀吉の馬廻り役となり、その後は羽柴秀長に仕えたが、官兵衛が豊前(中津12万石)に入国すると、黒田家に戻され、以後、官兵衛と長政に仕えた。
 朝鮮との戦いでは、長政に従い朝鮮に渡ったが、文禄の役の講和休戦中に頭を丸め、養心と号した。
 長政の筑前入国後は宗像郡津屋崎の城代となり、12000石を拝領。慶長17年(1612年)、52歳で鬼籍に入った。

■ 黒田直之

 官兵衛の導きでキリシタンとなった直之は、兄弟の中でももっとも敬虔なクリスチャンとなった。小田原北条攻めで、北条家の家臣、由良氏の娘を妻として、ともに洗礼を受けている。
 兄2人とともに秀吉の馬廻り役をつとめた後、利則と一緒に秀長に仕え、官兵衛が豊前に入国後、黒田家に呼び戻された。慶長14年(1609年)、46歳で没。

■ 黒田家の血筋

 こうして官兵衛の弟3人をみていくと、黒田の血筋は官兵衛を含め、性温和にして思慮深い血統だったと思われる。
 司馬遼太郎が「播磨灘物語」で、黒田家の流浪時代の項でこんなことを書いている。引用しよう。
 

 先祖のせんさくなど、意味の薄いことだが、黒田氏の場合は、多少、こだわりたい。
 黒田氏は、近江を出て流浪した家である。
 そのくせ、官兵衛を含めてその父、その祖父の行蔵から同時代のなりあがり大名にはまれといっていいほどの気品や教養のようなものがにおっており、ただの土民ではなさそうなのである。そういう気品や教養もしくは室町作法を心得た行儀のよさが、流寓の境涯から身を起こすときに、他人の信用を得たということが大きい。多少ともその家系にこだわったのはそのためである。

 
 なるほど慧眼だと思う。少なくとも、お家騒動の起こる2代目藩主黒田忠之の代までは、こんな温和な血が黒田家に脈々と流れていたのだろう。
 NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」で、官兵衛の弟3兄弟にたくさんの出番はあるだろうか。演出次第だが、楽しみの1つである。


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