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黒田三左衛門、井上九郎右衛門 - 軍師官兵衛-NHK大河ドラマ-プラットホーム

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黒田三左衛門、井上九郎右衛門

■ 黒田三左衛門

 荒木村重の謀反を知った官兵衛が、単身、有岡城に村重の翻意を促すべく説得にいき、土牢に1年間近く押し込められることになるのだが、そのときの様子について、司馬遼太郎の「播磨灘物語」にこうある。

有岡城忠魂碑

              (有岡城忠魂碑)

 

 冬になるころには、頭髪の3分の1ほどが抜け落ちてしまい、顔も生気を失い、腰の肉が落ち、ひざは骨と皮となって、地獄道の亡者がそこに座っているようになった。
 つねづね官兵衛の様子を心にかけてくれている村重の家来、加藤又左衛門が、この官兵衛の様子を見て、
「生きなされよ」
と、素朴ないたわり言葉を、念仏のようにくりかえして励ましてくれた。
 官兵衛は、その程度の素朴な言葉ながら、神の声を聞くようなありがたさをおぼえた。生きねばならないと思った。


 ここに出てくる加藤又左衛門の子どもが、黒田八虎の一人、黒田三左衛門である。官兵衛は幽閉中の加藤の恩に報いるために、三左衛門を養子にむかえ、長政の弟として育てたのだった。
 長じて、三左衛門は長政の傍にあってその能力を発揮し、長政の筑前入国後は、下座郡三奈木(げざぐんみなぎ)の城代となり、以後、一門は三奈木黒田氏と呼ばれた。
島原の乱では、松平信綱から軍議に招かれるなど、晩年は大名格の知将として遇された。1656年、86歳で死去。


■ 井上九郎右衛門

 黒田藩2番家老(1番家老は栗山善助)。黒田家臣伝に「行儀すぐれ武勇の心がけ深かりけり」と記されている。
官兵衛の父、職隆の時代から黒田家に仕える職隆が信頼を寄せていた家臣の一人だった。官兵衛の代になってからも、よく官兵衛に仕え、長政時代には、16000石を拝領して黒崎城主となった。1643年、81歳で没。

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