「黒田官兵衛」 浜野卓也著 の読初感
私は、黒田官兵衛について書かれた小説にはどんなものがあるのかを調べていて、浜野卓也の名前を知った。ウィキペディアを開けてみると、こんな紹介文が載っている。
日本の児童文学作家・評論家。静岡県御殿場市出身。早稲田大学文学部国文科卒業。立教大学大学院修了。専攻は近代文学。
『堀のある村』、『やまんばおゆき』(産経児童出版文化賞受賞)、『とねと鬼丸』(小学館文学賞受賞)、『さよなら友だち』他(日本児童文芸家協会賞特別賞受賞)、『五年二組』シリーズなどの創作をはじめ、『足利尊氏』、『北条時宗』、『毛利元就』などの伝記・評伝、『新美南吉の世界』などの評論の著書多数。山口女子大学教授も務めた。
読み始めてみて、その思い込みは、今のところ大きく外れている。
おもしろい。血沸き肉踊るという感じではないが、大変、丁寧に書かれた小説である。じっくり読ませてくれる風情を感じる。
筆者はこの小説のあとがきにこう書いている。一部を引用しよう。
あらためて如水の生涯を見ていくと、その人物の奥の深さに感動するのである。如水の生涯を通覧して感じる第1は、志の高さである。播州の田舎大名のの1家老から天下の情勢を省察して、近隣がどちらかといえば毛利に傾いていたとき、信長の天下布武に賭けたことは、信長の志の高さに共感したからであると同時に、如水の歴史を洞察する先見性にあったといえる。
しかも、如水の先見性は、信長のそれにはなかったヒューマニズムが含まれる。如水はまぎれもなくキリシタン大名であった。だが、黒田家が、そののち鎖国時代に入るに及んで、如水のその部分の証拠は隠滅してしまったらしく、如水の遺言により、かなりの金額が博多の教会に寄附されたはずだが、筆者の調べた限りでは、その教会跡を確認することはできなかった。「まぎれもなくキリシタン大名」といったのは、大友宗麟ら九州の大名がそうであったような功利性によるものではなく、その具体的生活面、たとえば生涯一婦を守ったことや、その領民の撫育に如実に現れている。また、戦争においてもプロ中のプロでありながら血を見ることが嫌いで、敵に対してこれほど寛大な武将はいなかった。
■ この作品に期待
こういう視点で書かれた小説である。まだ読み始めだが、これからが楽しみだ。大いに期待しよう。
ただ、やや気がかりなのは、官兵衛のことがきれいに描かれすぎていないかという点。官兵衛にも、権謀を図り、老獪な術策を用いて、敵方を欺いたことが何度かある。その典型が中津の国人、宇都宮鎮房の謀殺に見てとれる。
非難されるべき行いだが、それは後日の人がそう考えるのであって、食うか食われるかの戦国時代にあっては、わが身と家族、家臣を守り、領土を保全していくためにいたし方のない面もあったのだとは思う。
人には大なり小なり、ジキルとハイドが住んでいる。筆者には、そのハイドの部分に目を閉ざしてほしくないと思う。
それともうひとつ、筆者は官兵衛を本当のキリシタン大名だと書いているが、それならば、秀吉のキリシタン禁止令にいちはやく同調して棄教し、フロイスを落胆させた官兵衛をどう評価すればいいのだろうか。
筆者がこの点、作品中でどう料理するのか、これまた期待して読み進めよう。
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