「黒田官兵衛」 浜野卓也著 読後感
■ キリシタン大名としての官兵衛
以前に、浜野卓也の小説「黒田官兵衛」の読初感について、この本は期待がもてそうだとを書いた(→掲載ページ)。
しかし、読み終わってみると、やや物足りない感がしている。
浜野さんは、その「あとがき」で、キリシタンとしての官兵衛を描いてみたいと思っていると書いている。しかし、この点の描写がかなり希薄な気がする。
もっとも不満を感じるのは、秀吉のキリシタン禁止令を即座に受け入れて棄教した官兵衛の心情に、なんら触れられていないことである。

(官兵衛が愛用したとされる合子(ごうし)形兜)
キリシタン大名といわれた人たちの中で、本当に信仰に生きたのは高山右近ぐらいなものだ。他の大名はキリシタンと称することによって、異国と交易し、そこから利益を得ることを目的としていた。
私は、官兵衛もその一人だったとまではいわないが、多分に南蛮という異郷、クリスチャンという異教に興味をもっただけで、心底からキリストやその神を崇拝してはいなかったと思う。それが官兵衛の棄教という行動に端的にあらわれていると思うのである。
官兵衛がキリシタンとして生涯を生きたというのなら、戦場において敵とはいえ、同じ人間を殺戮することと神の存在との狭間で懊悩したであろうし、秀吉の棄教令を受け入れた背景には、領主としての領土、家臣、家族の保護と神に仕えることの両者の間に大きな葛藤があったはずだ。
これらのことについて、この本はほぼ素通りしている。私はそんな感じを受ける。本書の大きな暇瑾(きず)である。
■ 山崎合戦以後
中国大返しを行い、山崎合戦において明智光秀を討つまでは、大変丁寧に描かれているのだが、それ以降、九州征伐までの官兵衛の行動が、本書にはすっぽり抜け落ちている。これはどうしたことだろうか。
確かに、官兵衛の一生を平板に描くだけではおもしろくもおかしくもないだろうから、どこかに大きな山場をもってくる、谷をも作るというような手法は当然必要だろうが、清洲会議や賎が岳の戦い、四国征伐といった歴史に名を残す合戦などと官兵衛のかかわりは描いてほしかったなあ。
■ 宇都宮鎮房との戦い
官兵衛の一生を描いた小説を読むと、山崎合戦までに多くのページを割き、それ以降の官兵衛については、やや薄い記述にとどまっているものが多いことに気づく。それは故ないことではない。山崎合戦までが、最も官兵衛の輝いた時期だったからである。
本書は、その点、やや異色である。宇都宮鎮房との戦いやこの戦いに寄せる官兵衛の後悔などが丁寧に描かれていておもしろい。
私も、宇都宮鎮房の謀殺は、官兵衛の武将としての生き方の中での大きな汚点だと考える一人だが、反面、常に生きるか死ぬか、反逆あり、謀殺あり、調略渦巻く戦国時代にあって、自らの領土、家臣、家族を守っていくためにはやむをえない仕儀だったのかもしれないとも思う。
人の心にはジキルとハイドが棲んでいる。宇都宮鎮房の謀殺は、官兵衛の心の中のハイドが大きく頭をもたげた事件だったのだろう。
■ 本書の評価
最終的に、本書を某週刊誌の映画評をもじって、①一食抜いても是非 ②読むだけの価値あり ③お暇だったら・・・ ④ソンするぞ、きっと で評するならば、②と③の中間あたりといったところか。
以前に、浜野卓也の小説「黒田官兵衛」の読初感について、この本は期待がもてそうだとを書いた(→掲載ページ)。
しかし、読み終わってみると、やや物足りない感がしている。
浜野さんは、その「あとがき」で、キリシタンとしての官兵衛を描いてみたいと思っていると書いている。しかし、この点の描写がかなり希薄な気がする。
もっとも不満を感じるのは、秀吉のキリシタン禁止令を即座に受け入れて棄教した官兵衛の心情に、なんら触れられていないことである。

(官兵衛が愛用したとされる合子(ごうし)形兜)
私は、官兵衛もその一人だったとまではいわないが、多分に南蛮という異郷、クリスチャンという異教に興味をもっただけで、心底からキリストやその神を崇拝してはいなかったと思う。それが官兵衛の棄教という行動に端的にあらわれていると思うのである。
官兵衛がキリシタンとして生涯を生きたというのなら、戦場において敵とはいえ、同じ人間を殺戮することと神の存在との狭間で懊悩したであろうし、秀吉の棄教令を受け入れた背景には、領主としての領土、家臣、家族の保護と神に仕えることの両者の間に大きな葛藤があったはずだ。
これらのことについて、この本はほぼ素通りしている。私はそんな感じを受ける。本書の大きな暇瑾(きず)である。
■ 山崎合戦以後
中国大返しを行い、山崎合戦において明智光秀を討つまでは、大変丁寧に描かれているのだが、それ以降、九州征伐までの官兵衛の行動が、本書にはすっぽり抜け落ちている。これはどうしたことだろうか。
確かに、官兵衛の一生を平板に描くだけではおもしろくもおかしくもないだろうから、どこかに大きな山場をもってくる、谷をも作るというような手法は当然必要だろうが、清洲会議や賎が岳の戦い、四国征伐といった歴史に名を残す合戦などと官兵衛のかかわりは描いてほしかったなあ。
■ 宇都宮鎮房との戦い
官兵衛の一生を描いた小説を読むと、山崎合戦までに多くのページを割き、それ以降の官兵衛については、やや薄い記述にとどまっているものが多いことに気づく。それは故ないことではない。山崎合戦までが、最も官兵衛の輝いた時期だったからである。
本書は、その点、やや異色である。宇都宮鎮房との戦いやこの戦いに寄せる官兵衛の後悔などが丁寧に描かれていておもしろい。
私も、宇都宮鎮房の謀殺は、官兵衛の武将としての生き方の中での大きな汚点だと考える一人だが、反面、常に生きるか死ぬか、反逆あり、謀殺あり、調略渦巻く戦国時代にあって、自らの領土、家臣、家族を守っていくためにはやむをえない仕儀だったのかもしれないとも思う。
人の心にはジキルとハイドが棲んでいる。宇都宮鎮房の謀殺は、官兵衛の心の中のハイドが大きく頭をもたげた事件だったのだろう。
■ 本書の評価
最終的に、本書を某週刊誌の映画評をもじって、①一食抜いても是非 ②読むだけの価値あり ③お暇だったら・・・ ④ソンするぞ、きっと で評するならば、②と③の中間あたりといったところか。
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