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第1回大河ドラマ 花の生涯 - 軍師官兵衛-NHK大河ドラマ-プラットホーム

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第1回大河ドラマ 花の生涯

◇ 放映期間  1963年(昭和38年)4月~12月
◇ 原  作    舟橋聖一
◇ キャスト   尾上松緑、淡島千景、八千草薫、佐田啓ニ他


■ 井伊直弼の生涯 

井伊直弼
 
花の生涯は、彦根藩主にして幕府大老井伊直弼の生涯をドラマ化したもの。
 そこで、ドラマのあらすじを書く前に、まずは井伊直弼の生涯を簡単に振り返っておこう。
 井伊直弼は、第13代彦根藩主、井伊直中の14男として、文化12年(1815年)10月19日に生まれた。側室、お富の子であった。
 兄弟も多く、まして側室の子であったから養子の口もかからず、17歳から32歳までの15年間を300俵捨扶持の部屋住みとして過ごした。
 この間、和歌、禅、茶道、鼓、槍術、居合い術など文武両道に秀でた才能を示した。後に井伊直弼の懐刀となる長野主膳と師弟関係を結び国学を学んだのもこの間のことである。
 弘化3年(1864年)、第14代藩主、井伊直亮(直弼の兄)の世継に定められていた井伊直元(直中の11男。直元も直弼の兄に当たる。関係がなんともややこしい)が死んだため、直弼は直亮の養子という形で彦根藩の後継者となった。
 嘉永3年(1850年)11月21日、第14代彦根藩主、井伊直亮死去。井伊直弼が家督を継いで第15代彦根藩主となった。

 彦根藩主時代は、藩政改革に手腕を発揮し、名君と呼ばれた。
 嘉永6年(1853年)、浦賀にペリーが黒船で来航し、日本国中が開国か攘夷かをめぐって大騒ぎとなった。徳川300年、太平の世が終わったのである。
 幕政においても、開国か攘夷かの議論に将軍後嗣問題がからんで対立が先鋭化した。そんな中で、井伊直弼が大老に就任する。
 鎖国攘夷を唱え、次期将軍に一橋慶喜を押す一橋派の巨頭は水戸藩主の徳川斉昭で、これを福井藩主の松平春嶽らが後押ししたが、井伊直弼は開国を主張して孝明天皇の勅許をえないまま日米修好通商条約を締結、将軍後嗣問題では紀井藩主の徳川慶福を奉じ(南紀派)、両派が鋭く対立した。
 井伊直弼は大老の地位をフルに活用して、次期将軍を徳川慶福に据え、徳川斉昭や春嶽を蟄居に追い込むなど政治を壟断、独裁化していく。
 その最たるものが安政の大獄である。水戸藩に下された密勅(天皇の承認をえないまま条約を締結したことや井伊直弼の専横を非難し、水戸藩に攘夷の尖兵になることを求める勅命。幕府を通さないでこのような勅命が直接に藩に下されるということは前例のこれまでなかったことだった)の首謀者とみなされた梅田雲浜を投獄したことを皮切りに、橋本佐内、吉田松陰、頼三樹三郎などの志士やこれに同調している公家を次々と粛清していった。
 こうした独裁政治は尊皇攘夷派など反対勢力の怨嗟の的となり、遂には、安政7年(1860年)1月15日、登城中の桜田門外において、水戸脱藩浪士17名と薩摩浪士1名の襲撃を受け、落命した。

■ ドラマのあらすじ

 ドラマは、彦根藩の14男として生まれた直弼が、自らの部屋住みの境遇を埋もれ木に例え、「埋木舎(うもれぎのや)」と名づけた住まいで学問や剣術に励むところから始まる。
 そして、彦根藩主就任、黒船来航、大老就任、日米修好通商条約締結、将軍後嗣問題をめぐる一橋派との暗闘、安政の大獄といった幕末動乱を縦軸に、直弼とその懐刀、長野主膳、長野主膳の愛人で彦根藩のために奔走する村山たかの人間ドラマを横軸に、ドラマは展開する。
 遂には桜田門外での直弼暗殺、彦根藩による長野主膳の処刑、たか女の尼としての隠棲でドラマは幕を閉じる。

■ キャスト

 豪華なキャスト陣である。
 井伊直弼役に、当時の歌舞伎界の看板役者、尾上松緑。井伊直弼の懐刀、長野主膳に中井貴一の親父、二枚目スターの佐田啓ニ。長野主膳の愛人で井伊直弼の命を受け彦根藩のために奔走する村山たかに淡島千景。直弼正室昌子の方に八千草薫。直弼側室、秋山志津に香川京子、井伊家臣の多田一郎に西村晃。多田帯刀に田村正和。竹本重太夫に芦田伸介。
 水戸斉昭には昔懐かし、あの鞍馬天狗の嵐寛寿郎。そのほか、長門裕之、朝丘雪路、加藤武、山岡久乃、奈良岡朋子、岡田真澄、石坂浩二など葬送たる面々が脇を固めている。

尾上松緑


■ 撮影こぼれ話

☆ 当時、映画界とテレビ界には高い垣根があって、映画各社の専属俳優はテレビには出演しないという協定が結ばれていた。当時、佐田啓二は映画界(松竹専属)の売れっ子スターだったが、この協定からすると、佐田啓二を採用することができなかったことから、NHKは、映画会社ではなく佐田啓二自身と出演交渉を重ね、やっとの思いで出演の承諾を得ることができた。以後、映画界とテレビ界の出演の垣根はなくなっていく。

☆ 尾上松緑は昼は歌舞伎興行があったから、深夜にスタジオで収録にのぞむことが多かった。他の出演者たちも大物ぞろいだったことから、ストーリーの進行順に収録するという従来の手法がとれず、各シーンを俳優のスケジュールに合わせてバラ撮りするという手法がとられた。

☆ このドラマのテープは第1話と第38話の断片が現存しているにすぎない。これは、今では信じられないことだが、当時、テープが高価で大型だったため、放送終了後には消去して他の番組に利用されたためだったという。そのため、全話の再放送や完全版映像ソフトの制作・販売は絶望的だということだ。
 現存している第1話は「青柳の糸」は「NHK想いで倶楽部2~黎明期の大河ドラマ編~(1)花の生涯」としてDVD販売されている。

          

■ 映画「桜田門外の変」

桜田門外の変

 2010年10月に封切られた「桜田門外の変」をビデオで観た。桜田門外の変を指揮した関鉄之助(大沢たかお)を主人公にした映画である。原作は吉村昭。
 井伊直弼に伊武雅刀が、井伊直弼に対立する徳川斉昭に北大路欣也が扮している。
 物語は桜田門外の変の実行者達のその後を追いかける。この変に呼応して3000名の藩兵を率いて上洛する手はずとなっていた薩摩の島津久道は立たず、全国から燎原の火のように起こるはずだった攘夷の炎はくすぶり消えた。
 関鉄之助たち井伊直弼暗殺の実行者は、犯罪者となって流浪し、一人また一人と捕縛され獄につながれて斬首の憂き目にあう。
 最後に残された関鉄之助も故郷に帰ったところを捕縛され、遂には斬首された。関は井伊暗殺の意味を自らに問いかける。「私たちの決起はいったい何のためだったのか?」と。
 桜田門外の変は、桜田門外の顛末を描いた映画である。暗く悲しい。しかし、佐藤順弥監督作品にしては何か徹底していない。おもしろくはあったが、やや残尿感の残る映画だった。


          
   

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