ダイフルカン

黒田官兵衛 姫路ロケ(9.24 9.25)-その①- - 軍師官兵衛-NHK大河ドラマ-プラットホーム

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

いい記事だなって思ったらポチっと応援をお願いします。

にほんブログ村

大河ドラマ・時代劇 ブログランキングへ

黒田官兵衛 姫路ロケ(9.24 9.25)-その①-

姫路ロケの様子から①

■ 姫路ロケ
 
 9月24日、25日に、来年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の姫路ロケが行われた(→新聞記事)。
 姫路といえば、官兵衛生誕の地(黒田官兵衛は西脇市黒田庄町に生まれたとの説もある(→紹介ページ))。
 官兵衛は、小寺家家老で姫路の城代をつとめていた小寺職隆(もとたか)の長男として姫路城に生まれ、幼少、青年時を姫路城ですごした。

 24歳のとき、職隆のあとを継いで小寺家の家老となり、父と同じく姫路城の城代をつとめた。
 今回のロケは、羽柴秀吉が毛利を攻めた際、官兵衛の進言で本陣を構えたという書写山円教寺での撮影だったとのことだ。

■ 書写山円教寺
 
 円教寺は、姫路城の西北約6㎞に位置する、海抜371mの山上にある、比叡山と同じ天台宗の修行道場の寺である。康保3年(966年)性空上人によって開かれた。
 円教寺は今回の撮影をすんなり受け入れたのだろうか。というのも、同寺のホームページにこんな記載があるからだ。

 天正6年(1578年)、秀吉乱入し本陣とする。帰途仏像その他多数持ち去る。この頃まで27000余石の寺領を有していたが、秀吉によりすべて没収。500石だけを施入される。後1000石になるが、江戸に入り833石となる。


円教寺

■ ロケの内容
 
 それはさておきロケのこと。
 この日のロケには、秀吉の側近、石田光成(田中圭)が秀吉の命を受け、本陣人づくりを手際よく進め、これをみた官兵衛がその才能を高く評価する場面と、織田信長の命令で味方が籠もる上月城(こうづきじょう)を見捨てて後悔し、竹中半兵衛(谷原章介)に一喝される場面が撮影されたそうである。

 収録には書写山円教寺の常行堂や食堂(じきどう)が使われ、約70人のエキストラが足軽役を演じたそうだ。

■ 上月城攻城の顛末

 ところで、今回のロケ、官兵衛が上月城を見捨てたことを後悔し、竹中半兵衛に一喝される場面とはどういうことだろうか。

 話は、秀吉が書写山に本陣を置く前年に遡る。
 中国を攻略せよとの信長の命を受けた秀吉は、官兵衛の働きなどによって播磨の諸将を織田方に引き込むことに成功し、最後まで抵抗を示した福原城と上月城を攻め落とした。秀吉は凱旋したが、その上月城の守将に命じられたのが尼子勝久だった。

 尼子氏は、中国の出雲地方に覇をとなえる京極氏に属する有力豪族だったが、当時、中国地方を席巻し始めていた毛利元就に攻め滅ぼされて零落した。
 残された山中鹿之助たち旧家臣が、当時、僧侶となっていた尼子の末裔、勝久を還俗させ、信長に頼って一族の再興を図ろうとしていたのだった。

 しかし、尼子勝久が上月城に入った翌年、播磨の諸将は信長に叛旗を翻すにいたる。播磨東部の最大勢力、別所長治が三木城に立てこもり、官兵衛の主君、小寺政職(まさもと)もこれに同調、一気に播磨は毛利一色となった。
 そこで、再度、秀吉の播磨攻略、中国進出がはじまった。このとき、秀吉が本陣を置いたのが書写山だったのである。

 毛利も黙ってはいない。吉川元春、小早川隆景の両川を従えて、毛利輝元本人が万余の軍勢をしたがえ備中に進出、前年、奪われた上月城の奪還にかかった。対する秀吉の軍勢は数千人。

 信長の命によって、明智光秀や荒木村重といった織田方の武将も播磨に派遣されるが、卑賤から身を起こした秀吉のことをあまり快く思っていない彼らは、秀吉の元でまともに戦おうとしない。
 秀吉は思いあまって、単身、岐阜城におもむき、その窮状を訴えるとともに、信長の親征を求めるが、信長の命は上月城を見捨てて三木城を攻撃せよという非情なものだった。
 しかし、信長の命令は絶対である。秀吉と官兵衛は、泣く泣く上月城を見捨てることになったのである。この後、幾日もたたず、案の上、上月城は落城し、勝久は自刃、猛将、山中鹿之助は囚われて謀殺された。

 官兵衛はこのことを深く後悔したのだろう。そして、半兵衛にその苦衷を語ったに違いない。しかし、半兵衛はそんな気弱な思いを抱く官兵衛を激しく叱ったというのが、この日のロケ内容だったと想像される。
 官兵衛のことを描いた小説本の中には、そのような場面が書かれたものを、私は寡聞にして知らない。これは脚本家、前川洋一の完全なオリジナルだろうと思う。

 石田光成の力量に感心するという場面はどうだろう。官兵衛が光成と懇意にしていたとの記録はない。むしろ、朝鮮の役では光成の讒言にあって秀吉の勘気を被るということがあったし、人を人とも思わないこの才走った内務官僚に、あまりいい感情をもってはいなかったようである。
 まあ、後日のことはそれとして、この時点では光成の才能を高く買っていたという設定なのだろうか。

■ ロケ後の記者会見
 
 撮影後の記者会見では、官兵衛役の岡田准一が「姫路に強い愛情を感じている。第2の故郷のような気さえしている。撮影現場では、個人的には“質”をめざしている。時代劇ならではなのかもしれないが、その人がもっている“質感”を出すためにはどうしたらいいか、日々探しながら現場に臨んでいる。姫路、播磨の皆さんに応援していただけるようなすてきな官兵衛を演じていきたい」と意気込みを語った。

 また、この書写山の時期から数年後に、38歳の若さで結核に冒され死亡する半兵衛役の谷原章介は、役作りのため73キロ前後の体重を5キロも落とし、三木市にある半兵衛の墓に参った上で、この日の撮影に臨んだことを明かした。

 谷原は「本日のクランクインは、実際に官兵衛、半兵衛がたっていたであろう場所での撮影だったので、その年月を感じながら演じることができた。半兵衛は大局的な視点に立つところまで官兵衛を引き上げていく存在。現在も愛されている半兵衛を演じられて幸せだ」などと熱く語った。

 石田光成役の田中圭は、「ロケ地の持っている力を決定的に感じる。何百年前も前に実在していた人物を演じるにあたっては、役作りをして撮影に臨むのだが、ロケ地にはそこにプラスアルファの力をもらうような不思議な感覚になる」と感想を述べている。

 今回の撮影のシーンは、4月20日、27日の第16、17話で放映の予定だそうである。

黒田官兵衛姫路ロケ
           (ロケの様子 神戸新聞から)

                            (姫路ロケの様子から②に続く)

いい記事だなって思ったらポチっと応援をお願いします。

にほんブログ村

大河ドラマ・時代劇 ブログランキングへ


コメント
非公開コメント

いい記事だなって思ったらポチっと応援をお願いします。

にほんブログ村

大河ドラマ・時代劇 ブログランキングへ

トラックバック
当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます 
Copyright © 軍師官兵衛-NHK大河ドラマ-プラットホーム All Rights Reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。