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第4回放送「新しい門出」-26.1.26ー(その②) - 軍師官兵衛-NHK大河ドラマ-プラットホーム

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第4回放送「新しい門出」-26.1.26ー(その②)

第4回放送「新しい門出」-26.1.26ー(その①)から続く

■ 立ち直った官兵衛 

 母里武兵衛、善助(→コチラ)と3人で、堺に鉄砲の買い付けにいき、これまで経験したことのない広い世界に接し、やっと、官兵衛はおたつを失った悲しみから立ち直ります。
 
 武兵衛の父、母里小兵衛(→コチラ)が奉行をつとめる川の堤防工事にやってきて、「この堤ができれば米のとれだかは今までの倍になり、みんなの暮らしも豊かになって、年貢が増えるぞ」そういいながら、農民に混じってはつらつと立ち働きます。
 そんな官兵衛の姿をみて、官兵衛のもり役だった小兵衛は、思わず涙ぐむのでした。
     

■ 足利義昭

 ときは永禄10年(1967年)あたりのことです。第13代将軍、足利義輝が松永久秀と三好三人衆に暗殺されて数年が経っても、征夷大将軍は空席のままで、松永久秀と三好三人衆の間にも内紛がおこり、畿内一円が戦場と化し、室町幕府は衰亡の一途をたどっていました(→コチラ)。

 ここに足利義昭(当時は足利義秋といっていて、第15代将軍になったときに義昭と称するようになりましたが、ここでは便宜上、義昭で通します)という人物がいます。足利義輝の実弟です。
 足利義昭はお坊さんになっていましたが、義輝が暗殺されてことで還俗し、征夷大将軍の席を狙うようになりました。
 
 しかし、その実力はありません。そこで、有力大名にお願いしてその庇護を受け、京に上って、憎し兄の仇、松永久秀と三好三人衆を討とうと考えたのです。
 
 まず、頼ったのが越前の有力大名、朝倉義景でした。しかし、義景に京に上ろうという気はありません。
 ドラマは、言を左右して煮え切らない義景の態度に業を煮やす義昭の姿を写します。

 「余とともに、京に上って、松永と三好を討つ気骨のある大名はいないのか!
 
 陪席している義昭の陪臣、明智光秀にやつあたりです。

 「武田も上杉も北条も、隣国に難題を抱えていて、とても上洛などできる状況ではありませぬ

 「織田はどうじゃ、信長にはその思いはないのか!

 「とても、とても、無理でございます

 「ええい、さすれば全国の有力大名に、余とともに上洛せよとの書状をだせ!

 こうして、義昭の書状(「御内書」と呼ばれた)が全国の有力大名の間を駆けめぐるのです。

■ 義昭の書状

 場面はかわって、ここは御着城の評定所。職隆など重臣が居並ぶ中で、政職が「これをみよ。義昭様からの書状じゃ。余とともに上洛せよとの仰せじゃ」そういって、鼻高々に重臣たちにその書状を披露します。
 それを聞いた重臣の一人、小河良利(→コチラ)が「越前のような遠国にまで殿の名前が鳴り響いているとは」とおべっかを使い、政職もまんざらではない顔つきのところに、職隆が「実は私のところにも同じ書状が・・・」といって、政職にその書状を差し出します。
 両方の書状を見比べながら、政職「まったく同じ書状じゃ」と浮かぬ顔。

 さらに場面がかわって、政職がやっとできた嫡男、斎(いつき)の顔を覗き込み、「かわゆいのう」とそばにいるお紺(→コチラ)に話しかけながら、「この子の将来が心配じゃ。将軍さえ暗殺される世の中。小寺家でもいつ謀反があるやもしれぬ」などと、職隆の謀反を暗に疑うようなことをいいます。
 
 官兵衛は、政職の近習として、お紺の信頼を得るようになってきていたので、お紺は政職が職隆の謀反を恐れていることを官兵衛に伝え、官兵衛がその旨を職隆に伝えます。

 「疑い深い殿じゃ
 それを聞いて、さてどうしたものかと、職隆、官兵衛の叔父の井出友氏、黒田休夢(→コチラ)は、頭を悩ませるのでした。

■ 足利義昭再び

 ところで、今回が初出の足利義昭は、これから信長との関係で何度もこのドラマに登場することになります。そこで、再度、権威回復の再興を夢見た室町幕府最後の将軍、足利義昭のことを整理しておきましょう。

 まずはウィキペディアから引用。 
 

 足利 義昭(あしかが よしあき)は、室町幕府第15代将軍。(在職:永禄11年(1568年) - 天正16年(1588年))。
 父は室町幕府第12代将軍・足利義晴。母は近衛尚通の娘・慶寿院。第13代将軍・足利義輝は同母兄。
 足利将軍家の家督相続者以外の子として、慣例により仏門に入って「覚慶(かくけい)」と名乗り一乗院門跡となった。
 兄義輝らが松永久秀らに暗殺されると、三淵藤英・細川藤孝ら幕臣の援助を受けて奈良から脱出し、還俗して「義秋(よしあき)」と名乗る。
 美濃国の織田信長に擁されて上洛し、第15代将軍に就任する。やがて信長と対立し、武田信玄や朝倉義景らと呼応して信長包囲網を築き上げる。
 一時は信長を追いつめもしたがやがて京都から追われ、備後国に下向し長らく在国したため、一般には室町幕府は滅亡したとみなされている。
 信長が本能寺の変によって横死した後も将軍職にあったが、豊臣政権確立後はこれを辞し、豊臣秀吉から山城槙島1万石の大名として認められ、前将軍だった貴人として遇され余生を送った。



 義昭が室町幕府再興のために多用したのが御内書です。義昭は、信長に祭り上げられて京に上り、第15代将軍となりますが、信長の繰り人形であることをよしとせず、自ら実権を握ろうとしますが、それは無駄な抵抗。
 そこで、義昭は御内書を多用します。武田信玄、上杉謙信、朝倉義景、本願寺法主顕如、毛利輝元などなど全国の有力大名に向かって、打倒信長の御内書を乱発するのです。
 この呼びかけはかなり効果を発揮しました。武田信玄もこの御信書で信長を討つべく上洛しようとしましたし、謙信も同様のことを考えました。
 本願寺法主顕如と毛利輝元は、三木城の別所長冶、有岡城の荒木村重を囲い込んで信長を包囲し、信長打倒も今一歩というところまできました。ここら当たりは今から、ドラマ「軍師官兵衛」の中で多く取り上げられるようになります。
 しかし、義昭は人心を得ることはなかったようです。どこか軽率で無謀なところがあり、おぼっちゃま、おぼっちゃましていて、結局、幕臣であった明智光秀も細川藤孝も義昭から離れていきましたよね。

 そんな義昭を演じるのは、吹越満(ふきこえみつる)さん。大河ドラマは2回目の出演ですね。1回目は「北条時宗」の宗尊親王役でした。

 今回、足利義昭を演じるにあたって、インタビューにこんな風に答えているので紹介しましょう。
 

 義昭は、人を利用しようとして逆に利用されてしまい、抱いている野望も要領の悪さから達成できないという不器用な人物として描かれています。人間らしくて非常にわかりやすい性格で、哀愁がただようだけでなく、どことなくかわいらしさも持っているんです。きっと、義昭が画面に出てきただけで「この人が天下をとれるわけがない」と感じるはずですし、そう思っていただかなければならないキャラクターだと考えています。
 そんな義昭ですが、乱世のなかを意外としぶとく生き残っていきます。信長に追放されると、毛利にすり寄っていって、信長が死ぬと今度は秀吉に近づくなど、彼は彼で人に利用されながらも、巧みに生き残る道を選んでいったんです。野望はかなえられませんでしたが、彼なりに乱世を渡り歩いていったんですよね。そんな義昭と向かい合ううちに、彼のことが愛おしく感じられるようになっています。
 義昭を演じる僕としては、男性には信長や秀吉、それから官兵衛という男のなかの男に注目していただいて、女性には光やおねなど素敵な女性を見ていただいて・・・・・・。その中間層の方々に義昭のような人を見ていただければうれしいですね(笑)。

(「軍師官兵衛完全読本」(産経新聞出版発行)から)

 ドラマの場面の中で、ちょっとずっこけてみたり、信長との対面では、「これでいいのか」と問うような不安な顔して、陪席している明智光秀の顔を何度も見ながらしゃべったり、確かに「この人に天下獲りは無理だわ」って思わせてますよ、吹越さん。

               第4回放送「新しい門出」-26.1.26ー(その③)に続く
 
 

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