■ 今週の大河ドラマ「死闘のはてに」あらすじ◇ 中央では
永禄11(1568年)7月、次期将軍足利義昭を守護するという名目で、信長が上洛を果たします。上洛してみると、度重なる戦禍で京の町は荒れ果て、乱暴狼藉が横行していましたが、信長はわずか1月で京の風紀を正したのでした。
同年10月、義昭は第15代将軍に就任します。信長は、義昭から副将軍の地位を与えるとの申し出を断り、官位ではなく、堺、大津、草津を信長の直轄領とすることを求め、許されます。形式より実利を選んだのです。
近江では、竹中半兵衛が隠居生活を送っていましたが、この稀代の軍師を味方に引き入れようと、秀吉が日参しています。
半兵衛は信長のやり方は肌にあわないと断り続けますが、天下布武のために、どうしても半兵衛の力が必要だと土下座までする秀吉に根負けし、信長ではなく秀吉に仕えることを了承するのでした。

(信長、演:江口洋介)
◇ 播磨では
一方、姫路では、官兵衛は領民に慕われる立派な領主に成長し、城では質素を旨とする生活をおくる中、光(てる)が男の子(のちの黒田長政)を出産し、黒田家は喜びに包まれます。
しかし、穏やかなときは長くは続きません。永禄12(1569)年5月、宿敵である龍野城の赤松政秀が三木城の別所安治と手を組み、兵をあげます。この戦いは官兵衛の奇襲で小寺側の勝利におわりましたが(青山の戦い)、その1ヵ月後、先の負け戦の汚名をそそがんと、赤松勢が全勢力を集めて、再び兵をあげます(土器山(かわらけやま)の戦い)。
この土器山の戦いは、黒田家の浮沈にかかわる大戦さとなりました。政職率いる小寺軍が赤松軍の奇襲におびえて御着城に逃げかえってしまい、黒田勢だけで赤松軍に対しなければならなくなったのです。
いったんは赤松軍に攻め込まれ、黒田軍は叔父の井出友氏を失うなど大きな痛手をうけます。叔父の休夢は、いったん姫路城に撤退することを進言しますが、官兵衛は、勝利におごった今こそ赤松軍を討つチャンスだと、傷の浅い将士を集めて赤松軍に奇襲をかけ、赤松軍を追い落とします。
しかし、この土器山の戦いで、黒田軍も、母里小兵衛、武兵衛親子を失いなど大きな痛手を受けたのでした。
ドラマのあらましはざっとこんな感じでしたね。では、もう少し詳しくみていきましょう。

(赤松軍に勝利してかちどきをあげる官兵衛)
第5回放送「死闘の果てに」-26.2.2ー(その②)に続く
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