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第5回放送「死闘の果てに」-26.2.2ー(まとめ) - 軍師官兵衛-NHK大河ドラマ-プラットホーム

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第5回放送「死闘の果てに」-26.2.2ー(まとめ)

■ 今週の大河ドラマ「死闘のはてに」あらすじ

◇ 中央では

 永禄11(1568年)7月、次期将軍足利義昭を守護するという名目で、信長が上洛を果たします。上洛してみると、度重なる戦禍で京の町は荒れ果て、乱暴狼藉が横行していましたが、信長はわずか1月で京の風紀を正したのでした。
 
 同年10月、義昭は第15代将軍に就任します。信長は、義昭から副将軍の地位を与えるとの申し出を断り、官位ではなく、堺、大津、草津を信長の直轄領とすることを求め、許されます。形式より実利を選んだのです。
 
 近江では、竹中半兵衛が隠居生活を送っていましたが、この稀代の軍師を味方に引き入れようと、秀吉が日参しています。
 
 半兵衛は信長のやり方は肌にあわないと断り続けますが、天下布武のために、どうしても半兵衛の力が必要だと土下座までする秀吉に根負けし、信長ではなく秀吉に仕えることを了承するのでした。

織田信長(江口洋介)
 (信長、演:江口洋介)           

◇ 播磨では

 一方、姫路では、官兵衛は領民に慕われる立派な領主に成長し、城では質素を旨とする生活をおくる中、光(てる)が男の子(のちの黒田長政)を出産し、黒田家は喜びに包まれます。
 
 しかし、穏やかなときは長くは続きません。永禄12(1569)年5月、宿敵である龍野城の赤松政秀が三木城の別所安治と手を組み、兵をあげます。この戦いは官兵衛の奇襲で小寺側の勝利におわりましたが(青山の戦い)、その1ヵ月後、先の負け戦の汚名をそそがんと、赤松勢が全勢力を集めて、再び兵をあげます(土器山(かわらけやま)の戦い)。

 この土器山の戦いは、黒田家の浮沈にかかわる大戦さとなりました。政職率いる小寺軍が赤松軍の奇襲におびえて御着城に逃げかえってしまい、黒田勢だけで赤松軍に対しなければならなくなったのです。

 いったんは赤松軍に攻め込まれ、黒田軍は叔父の井出友氏を失うなど大きな痛手をうけます。叔父の休夢は、いったん姫路城に撤退することを進言しますが、官兵衛は、勝利におごった今こそ赤松軍を討つチャンスだと、傷の浅い将士を集めて赤松軍に奇襲をかけ、赤松軍を追い落とします。
 しかし、この土器山の戦いで、黒田軍も、母里小兵衛、武兵衛親子を失いなど大きな痛手を受けたのでした。

 ドラマのあらましはざっとこんな感じでしたね。では、もう少し詳しくみていきましょう。 

                  
ドラマストーリー
 (赤松軍に勝利してかちどきをあげる官兵衛)

■ 黒田家の家風

 官兵衛の指示でできあがった堤防のおかげで、姫路城下の村々では、お雨が降っても田畑が水に浸かることもなくなり、農民は豊かな生活を送れるようになってきました。
 官兵衛は家督を継いだあと、黒田家の領主として、はたまた小寺家の家老として、領民にしたわれ、政職にも信頼をおかれる存在として成長しつつありました。
 黒田家でも、光が妊娠し、まもなく待望の第1子が生まれようとしていました。「あ、けった」などと、光にもついつい笑みがこぼれます。 


 黒田家は質素倹約をその家風にしています。これは目薬の販売で財をなした祖父、重隆の代からのものです。
 その家風に、光の侍女、お福(演:阿知波悟美)がなかなかなじめないでいます。こんな風です。
 「奥方様が書見をしたいといわれているのに、油をけちるとはどういうことですか
 ひときわ、黒田家の中でも倹約家の小兵衛は、「書見は明るいうちに願いまする。それが黒田家の家風。早くなじんでいただきたい
 お福は不満たらたらです。

お福
 
 光がそんな話を官兵衛にすると、官兵衛は、「金というものはいざというときに使うもので、それまでは大切に蓄えておくものだ。それが黒田家の家風なのだ」と光を諭します。
 「質実剛健ですね。でも、それはけちとも・・・」と光。
 「いや、けちとは違う。倹約だ」とムキになる官兵衛。

 この考えは黒田家の家臣にも浸透しています。
 太兵衛が、女中のお国(演:中川翔子)に、着物の破れのつくろいを頼んだおりに、こんな話をします。
 「今、お前につくろいを頼んでいる着物も若殿から売っていただいたものだ。もらったものではない。若殿は家臣にただで物を与えるというのは、その者にとってはいいだろうが、それを聞いた他の者にとっては不公平になるとお考えなのだ。これはけちではない。倹約ということだ
 
 この話はきっと官兵衛語録からとったものなんでしょうね。語録にこうあります。

 もらった者は喜ぶであろうが、もらわぬ者は恨むであろう。誰にやって誰にやらない、でよいというわけのものではない。しかし、だからといって功のない者にもやれば、功のある者に賞を与えるとき、その甲斐がない。だから、古い物をやりたいと思うときは安く払い下げるのだ。お前たちにしても、わずかの銭を出して買う方が得であろう。(出典:戦国浪漫・面白エピソード/名言集・黒田孝高(如水)編)


■ 太兵衛とお国

 ところで、この太兵衛とお国。いい感じです。お互い憎からず思っています。お国が太兵衛の繕い物をし、太兵衛がそのお礼に櫛をおくる。そんな関係なのです。
 そんなこととは露知らず、父親の小兵衛は、隠居した職隆と碁を打ちながら、太兵衛が真剣に嫁獲りをしようとしないとこぼします。
 そのお国を演じるのは中川翔子(通称:しょこたん)。洪水のようなしょこたんブログで有名ですね。この軍師官兵衛に出演したことも、ちゃんとしょこたんブログに載ってます。引用しましょう。

 きょうはあさから夜中まで、演技のお仕事ですまさかの! 毎日脳みそぐるぐるチェンジ! 数年ぶりにまつエクもアイラインマスカラもろもろ、とってます。ぎゃああ、人相からちがう。ガクガクブルブルガタガタブルブル
 だれだかわからないくらいはんぺんにそっくりですお
                        (25年8月30日の記事から

 きょう撮影してきたのはまさかの!! 来年の大河ドラマでした。! 登場は1話だけですが、大事な役どころでドキドキ!! また詳報続報まててね。まだロケが1日ありますので気をひきしめてがんばります! お国という役です。
                       (25年8月30日の記事から)
                        

 まつエクはずして大河ドラマ! ってYahooニュースでてたー。恥ずかしい、前髪ない状態に慣れない。第5話に登場します、来年だ!
                      (25年8月30日の記事から)

 いままさに放送中、大河ドラマ軍師官兵衛の第五話にわたしも出演させていただきました!!わかるかな?お国役です!!大事な場面にも関わる役でドキドキでしたが何度も岡田さま、中谷美紀さまが話しかけてくださったおかげでほぐれて本当に幸せなありがたすぎる宝の時間でした、このご恩は一生忘れません!!
 おでこまるだし、黒髪、まつげメイクなし!!人相ちがう!!
                      (26年2月2日の記事から


 なお、しょこたんの書いている「まつエク」ってなんだろうと、ブログに書いたら(→コチラ)、「まつエクは、まつげのエクステンション(色付きだったり長さがあったりと、ウイッグ的なもの)」のことですよー!」っていうコメントを「りょうし」さんからいただきました。教えてくれてありがとさん。

お国

nakagawa.jpg

           
■ しょこたん、もったいない

 お国役のしょこたん、登場は今回こっきりだとか。なんか、もったいないな。

 みんなの面前で2人の関係が公にされてから、いくばくもしない間に赤松勢が攻め寄せてきます。このとき武兵衛は、お国と「いくさから帰ったら祝言をあげよう」と約束を交わし、赤松勢との決戦に臨みます。
 赤松勢との青山・土器山(かわらけやま)の激戦は黒田勢の辛勝に終わりますが、武兵衛はこの戦いで官兵衛の身代わりとなって戦死します。その報を聞いて泣き崩れるお国。

 しょこたんの演技には、いかにも武将を裏から支える妻役の感じがよく出てたし、はにかみ方もういういしくてよかったと思います。いい演技でした。

■ 栗山善助の妻ってどうよ

 これでお国の登場は終わりというのは、いかにも唐突でもったいないよ。それにちゃんとお国がはまる役柄があるじゃないですか。それは栗山善助の妻役です。

 ここからはネタバレになりますが、栗山善助はお道(演:福島リラ)と結婚します。お道ははじめ黒田家に仕えていました。熱心な一向宗の門徒でした。
 しかし、官兵衛が一向宗を弾圧する信長に味方するということを聞いて、同じ女中のお竹と黒田家を去ります。
 そのあと、お道たちは毛利軍の播磨攻めに巻き込まれ、いくところを失って命からがら黒田家に舞い戻りますが、そんな二人を光と官兵衛は暖かく迎え入れます。このお道が隣村の出身ということもあって、善助の妻になるのです。

 けど、ここにお国がいるじゃないですか。善助が兄と慕っていた武兵衛の忘れ形見、いや、思い形見のお国が。

 ひょっとして善助にとっては姉さん女房になるかもしれませんが、それも一興。
 お道が有岡城に幽閉された官兵衛の救出に買った一役をお道が果たせばいいのに。

 これだとストーリー的にも映えると思うんだけどなあ。皆さん、そう思いませんか。
 お道役の福島リラがどんな女優で、これまで何を演じてきたのかは知りませんが、ここは栗山善助の妻となったしょこたんの活躍を見たかったですね。
 もっとも、ひょっとすると、そこまで大河に出るにはしょこたんのスケジュールとの調整ができなかったのかもしれませんね? 今年はしょこたんの主演映画も公開されてるしね。

■ ナレーション藤村志保の降板

 ところで、NHKは29日、女優の藤村志保さん(75)が背骨を圧迫骨折したため、大河ドラマ「軍師官兵衛」のナレーションを降板すると発表しましたね。

 記事によれば、藤村さんは3日、起床時に背中にひどい痛みを感じ、医師から絶対安静と診断されたということです。
 第6回(2月9日放送)までは収録を終えており、第7回(16日放送)から、元NHKアナウンサーの広瀬修子さんがナレーションを担当するといいます。藤村さんが再登板するかは未定です。

 藤村志保さんといえば、NHK大河ドラマでは、これまで、太閤記(1965年) - ねね 役、三姉妹(1967年) - おるい 役、天と地と(1969年) - 藤紫 役、黄金の日日(1978年) - 淀君 役、太平記(1991年) - 清子 役、八代将軍吉宗(1995年) - 安宮照子 役、風林火山(2007年) - 寿桂尼 役と数多くの役柄をこないてきた超ベテラン。
 
 今回のナレーションは、どうも歯切れが悪くて、よく聞き取れない、暗すぎるといった悪い評判もチラホラ。
 私の同僚のかみさんも「あれはひどい」っていってました。けど、NHKとしてはこんな大御所を簡単に切るわけにもいきません。さあ、どうしたもんだろうなんて考えていたかいなかったか。
 広瀬修子さんといえば、語り口の柔らかいアナウンサーですね。さあ、偶発的ではありますが、このナレーションの交代は吉とでるか凶と出るか。楽しみがひとつ増えました。

藤村志保①
                         (藤村志保)

広瀬修子①
                       (広瀬修子)

■ 赤松政秀との決戦

 話があらぬ方向にそれてしまいました。本編に戻りましょう。

 松寿丸(のちの黒田長政)の誕生、武兵衛とお国の事実上の婚約など黒田家にもうれしい出来事が重なり、官兵衛も領民に慕われ、政職からも信頼される領主、家老として成長していきますが、ときは戦国時代、そんな平穏な日々がいつまでも続くことはありません。
 永禄12年(1569年)5月、またもや、赤松勢が攻めてきました。


■ 青山の合戦

 まずは青山合戦。ドラマでは藤村志保のナレーションで1行。「またもや、赤松勢が攻めてきたが、官兵衛は奇襲戦法でこれをしりぞけた」だけでした。
 しかし、なぜ、こう幾たびも赤松政秀が小寺氏を一方的に攻めてくるのか。小寺氏から赤松氏を攻めるということはないのか。そこらの関係がドラマからはあまり見えてきません。
 戦国時代だから他国を侵犯しようとするのは日常茶飯事のことだとか、赤松はもと播磨の守護職だったから昔の栄耀栄華を取り戻そうと、隣国の小寺氏を侵犯しようとしたのだとかだけでは十分な説明とはいえません。

 ドラマでは、青山合戦、土器山(かわらけやま)合戦を、赤松政秀と小寺政職の乾坤一擲、最後の決戦のように描いていますが、私の知る限り、小説本の中で、この争いをそんなに大きく取り上げたものは少ないのです。
 試みにあげれば、吉川英治著「黒田如水」、司馬遼太郎著「播磨灘物語」、火坂雅志著「軍師の門」、上田秀人著「月の武将 黒田官兵衛」、岳宏一郎著「軍師官兵衛」、いずれも青山・土器山合戦について、あまり詳しく触れてはいません。
 
 私の知る限りでは、浜野卓也著「黒田官兵衛」が、なぜ、この時期、こうも竜野の赤松政秀が小寺氏を攻めようとしたのか詳しく説明してくれています。
 そこで、長文にはなりますが、その該当箇所をここに引用しましょう。文中にある「三好」とは、三好三人衆のことで、この当時、足利義昭を奉じて上洛してきた信長に追い落とされ、淡路島あたりで虎視眈々と上洛の機会を狙っていました。
 

 永禄12年(1569)年、播州第一の兵力を持つ三木城の別所安治が、館野(竜野)の赤松政秀と謀って、御着城の小寺政職を攻めるとの情報が流れてきた。
 御着城内では、早速軍議が開かれた。
 「大した合戦にはなりますない」
 と官兵衛はいった。
 「三木城の別所どのが、本気になって我が小寺を攻めれば、三木城が手薄になります。さすれば、阿波、淡路を経て三好の大軍が、得たりと三木城を奪いましょう」
 「しかし、別所が三好と盟約を結んでのこと、とは考えられぬか」
 老臣、小河三河守がいった。
 「それはございますまい」
 官兵衛は自信をもっていった。
 官兵衛は、三木城下に多くのくさ(蝶者)をはなっている。しかし理論的に考えても、別所が小寺を攻めたとして、三好は得るところがない。三好が別所の後押しをすれば、小寺は必然的に西の毛利を頼む。そうすると、三好は毛利と向かい合わなければならないが、東から手強い織田軍が攻めてくれば挟殺されることになる。
 なんとか畿内を制しようと、この方面に軍を傾ける三好が、縁もゆかりもない別所を助けるだろうか。
 「別所どのは、播州一国の実力者としての声望を得るための出陣で、本気でこの御着城を攻略はしないでしょう。また、それができるとも思っていないはず」
 「しかし、西の赤松と約定の末、この小寺領を二分しようとするとなると・・・」
 「はい。確かに侮りがたいでしょう。しかし、こたびの合戦は、赤松側の働きでございます」
 官兵衛はその証拠を宿老たちに示した。
 小寺領をはさんだ東(別所)と西(赤松)であるが、様子を探ってみると、西から東へ向かう密使が多いということがあった。今日などは、小寺勢が城をでないこともあって、あからさまな伝令が次々と東に走っていった。
 「館野(竜野)の赤松政秀どのが、三木の別所どのの力を借りて、西播州の主となることを願う一念から起こした合戦と見受けました」
 既に述べたように、播州一国は東八郡が別所氏で、西八郡を御着の小寺政職、英賀(あが)の三木通秋、館野(竜野)の赤松政秀、上月の上月景高が領している。
 実は、別所も、小寺も、三木も、ひと昔前に播磨を領した赤松氏の支族であった。赤松氏はその昔、村上源氏より出て播磨の国千種川の中流の地域に住み、赤穂郡赤松の地名をとって赤松氏を名乗るに至った。
 赤松則村のとき、元弘の乱、続いて南北朝争乱が起き、則村は足利尊氏を援け、その功により播磨守護となり、さらにその子則祐のとき、美作、備前(岡山県)の守護となって勢威をあげた。
 だが、則村の曾孫満祐が、将軍義教を自邸で刺殺(嘉吉の乱)した後、誅罰されて一時赤松氏は滅亡。その後、赤松家の遺臣が、南朝(吉野朝)に奪われた神璽を取り戻す功を立てて、政則の時に再興された。
 しかし、赤松家の衰運はやみ難く、義祐の代には守護代の浦上氏に勢威を奪われそうになり、その支族が、前述のように三木氏その他に分離独立、互いにその主導権を奪おうと競合しているのが現状であった。
 だが、官兵衛のみるところ、これら領主たちの中で、抜きんでて播州一国を統一できる器量の持ち主はなかった。
 「おそらく、館野(竜野)の赤松どのが、東の別所どのと肩を並べたいとの一存で起こした合戦でありましょう。決して多くの犠牲を払ってまで、この御着城を陥落させようとの強い意思はございますまい。哀れなのは・・・無益な合戦で家を焼かれ、田を荒らされる領民たちです。」
 「それで」
 と、宿老の小河三河守がさえぎった。官兵衛の「領民のための政治論」はもうご免、といわんばかりの苦い顔である。
 「それでどうするのだ。我が小寺では」
 これも宿老の江田(ごうだ)善兵衛が問うた。
 「どうするもこうするも、赤松どのに、無益なことはおやめになるように・・・」
 「呆れた!頭を下げて頼むというのか!」
 「おろかなことを申されますな」
 官兵衛は、初めて声を高め、床を叩いた。
 「頼んでわからぬ相手には兵を動ずるほかはありませぬ。それがしが赤松どのをしりぞけてみせましょう」
 黙って聞いていた小寺政職が、
 「あいわかった。ここは官兵衛にまかせよう」
といった。


 当時、足利義昭が信長の助けを得て上洛し、室町幕府の再興を図ろうとしていましたから、赤松政秀もその勢いに乗じて、播磨で守護としての往年の勢威を取り戻そうと考えていたのは間違いのないところでしょう。
 そのためには播磨中央で勢威を張る小寺氏をなんとかしなければなりません。そこで考えたのが、東の別所氏との同盟でした。別所氏と赤松氏で西と東から小寺氏を挟撃すれば、たやすく小寺氏の領土を手中に収めることができると考えたのです。
 
 しかし、案に相違して、別所氏は一応は赤松側の提案を受け入れたものの、積極的な動きを見せようとしません。青山合戦でも、赤松、別所合同して小寺氏を攻めようという約束を、別所氏側は事実上反故にして動きませんでした。
 官兵衛はそこを狙ったのです。別所勢はまだか、まだかと浮き足立っているところに寡兵で奇襲をかけて、赤松勢を追い落としたのでした。


■ 緒戦、青山の戦い

 青山・土器山(かわらけやま)の戦いの緒戦は、官兵衛たちの奇襲攻撃により、まずは黒田軍の勝利に終わりました。
 官兵衛からの戦勝報告に、政職は官兵衛を称賛し、これで当分の簡は赤松勢も攻めてこないだろうと楽観的です。
 赤松勢の様子から見て、今回は、今一度攻めてくるだろうと主張する官兵衛に、もしそのようなことがあるなら、今度は自らが陣頭に立って赤松勢を蹴散らしてくれると、政職の鼻息の荒いこと。  


■ 赤松勢の奇襲

 それから約1ヵ月後、官兵衛の読みどおり、青山の合戦の恥辱をそそごうと、赤松勢が再び攻めてきました。しかも総攻撃の構えです。
 官兵衛たちも、ここは乾坤一擲、赤松勢との決戦を覚悟します。官兵衛は、今こそ、これまで倹約を重ねて貯めてきた金を使うときだと考え、居並ぶ家臣団にこういうのでした。
 「先のいくさでは、みな、よう働いた。これより褒美をつかわす。次のいくさはより厳しい戦いになるであろうが、よろしく頼んだぞ
 家臣団の意気は、いやがうえにも高まります。

 初陣を迎えた善助に、小兵衛が「わしについてはなれるな」と言い渡し、武兵衛はいくさから戻ったら祝言をあげることをお国に誓い、官兵衛も必ずこの姫路を守り抜くと光に約束して、さあ、出陣です。
 黒田軍は土器山(かわらけやま)に陣を敷き、政職が率いる小寺軍と合流します。軍議が開かれ、政職が官兵衛に日の出とともに赤松軍を攻撃するよう命じ、それぞれの持ち場に分かれて明朝の戦闘態勢を検討しているところに、赤松軍が小寺軍の本陣に奇襲をかけてきました。
 櫛橋左京亮が「あわてるな!」と声をからしますが、本陣はこの奇襲にすっかり浮き足立ち、政職以下、脱兎のごとくに御着城向けて逃げ帰っていきます。
 
 援軍を失い孤立した黒田軍の中からも、ここは姫路城に帰って籠城すべしとの意見もでますが、官兵衛は、ここは黒田軍だけでも赤松勢と戦う方針をとります。
 しかし、多勢に無勢。黒田軍は徐々に赤松勢に追い詰められ、叔父の友氏、小兵衛があえなく敗死。多くの死傷者がでます。

■ 小兵衛役、塩見三省

 ここで官兵衛のもり役、小兵衛の敗死の模様を。
 やや疲れが見え、敵と戦いながら横倒しに倒れた小兵衛のところに、息子の武兵衛がかけより手助けしようとしますが、小兵衛はこれを拒否。武兵衛に自分にかまわず敵と戦うよう目で指示します。
 しかし、ここは思い直して、武兵衛の手にすがって立ち上がると、さあいくぞとこれまた武兵衛に目で合図して、再び、戦場の渦中に向かいます。
 武兵衛もこれに続こうとしたちょうどそのとき、小兵衛の背中を弓矢が貫くのです。「わかを頼んだぞ」そういってもんどりうって倒れる小兵衛。小兵衛に殺到し抱き起こす武兵衛。しかし、もう、小兵衛に息はありませんでした。
 
 ここで、小兵衛役の塩見三省さんが、討ち死にする場面をどう演じるかインタビューに答えているのでその記事を紹介しましょう(→コチラ

(青山の戦いで)官兵衛のために討ち死にすることについても、シンプルに考えようと思っています。戦国のあの時代は、主君のために働いて死んでいくことが、特別なことではなかった。ならば演じる僕も、余韻を残さず、すがすがしく死んでいけばいいのではないかと。演出家とも、これまでにはないような死に方をしようと話しています。あえてあっさりと死ぬことで、人間が生まれて死ぬ意味について、思いをめぐらせてもらえるのではないかと思うんです。年齢的にも、殺陣と馬をやるのはきっとこれが最後の機会。宝物のような経験になるんじゃないかと楽しみにしています。


 さあ、塩見さんの意図は視聴者に伝わったでしょうか。皆さん、この小兵衛の討ち死にの場面、どう感じましたか?

母里小兵衛(塩見三省)②

■ その頃、姫路城では

 姫路城にも小兵衛の悲報や敗色濃厚な戦線の様子が伝えられます。それを聞いた光の侍女、お福は、光にひとまず志方城に避難するよう進言しますが、光はそんなお福を一喝し、一丸となって姫路城を守り抜く決意をみなに伝えます。
 戦場から避難してきた農民を城内に保護し、光は籠城に備えるのでした。


■ 奇襲の決断

 戦場では小兵衛をはじめ、多くの家臣が討たれ、敗色濃厚となったところに、姫路城から職隆率いる援軍が参着します。
 これで黒田軍はやや勢いを盛り返しますが、如何せん多勢に無勢、ときが経つにつれて、赤松勢にさらに押し込まれるのでした。
 夜がきて戦線は膠着、官兵衛は叔父の休夢、職隆と軍議を開きます。
 休夢はいったん姫路城に退却して体勢を整えるべきだと主張しますが、官兵衛は、今、退却すれば黒田軍に勝ちはなくなる、疲れているのは敵も同じことだ、敵が勝利に酔って油断している今こそ奇襲をかけるべきだと反論します。
 孫子の「進みてふせぐべからざるは、その虚を突けばなり」(油断しているこのときに攻めれば、敵はふせぐことができない)の兵法を実践しようというわけです。
 職隆もこの官兵衛の作戦をよしとします。
 官兵衛は、まだ傷が浅くて動ける者を一同に集め、赤松勢に夜襲を仕掛けたのでした。

■ 夜襲

 この夜、赤松政秀は、官兵衛の読みどおり、重臣たちと勝利を祝って酒をのんでいました。政秀は小寺家を裏切って、今や赤松家の重臣となっている石川源吾にこんなことを話しかけます。
 「官兵衛め、今頃、姫路城で青くなって震えておるわ。姫路さえ落とせば御着はもろいものよ。そのときは石川、おことに姫路城をくれてやる。ハハハッ
 「それはありがたき幸せ」 もう、石川源吾もそのつもりです。
 そこに伝令が飛び込んできます。
 「夜襲、敵の夜襲です!

 「なにっ、そんな馬鹿な!
 夜襲に対して、何の備えもしていなかった赤松勢は浮き足立ちます。
 黒田軍は赤松勢を押し込めていきますが、攻めるも必死ならば守るも必死。人数において勝る赤松勢との間で夜半から早朝にかけて壮絶な白兵戦が展開されるのでした。
 官兵衛も、敵の刃を受けて落馬。数人の敵に囲まれます。
 そこにやってきたのは石川源吾。官兵衛はこの俺が仕留めるとばかりに部下を押しのけ、「官兵衛、覚悟!」と槍の切っ先を官兵衛に突き出したその刹那、武兵衛が二人の間に飛び込んできます。
 「うぐっ」 源吾の槍は武兵衛の胴を刺し貫いたのでした。
 「おのれっ、石川!」と官兵衛。

■ 石川源吾との一騎打ち

 これからが、今回「死闘の果てに」の最大の見せ場でした。官兵衛と石川源吾の一騎打ちです。
 官兵衛の剣先がビュッとしなり、これを受けた源吾が切りかえします、一進一退の攻防です。さすが、岡田准一。身体能力が高いですねえ。それに剣先の早いこと。古武術をやっているだけのことはあります。
 源吾役の升毅も負けてはいません。何度も修練を積んだのでしょう。その成果が現れた殺陣の場面でした。二人ともお見事!

 ドラマの設定上は、やや源吾の方が剣の腕がたつようでした。疲れもあり、官兵衛は徐々に源吾に押し込まれます。
 何かにつまずいて官兵衛が転んだところに、源吾が最後の一突きをくれようとしますが、そのとき、官兵衛の剣が源吾の足の甲を貫きます。
 痛みにうめきのけぞる源吾。官兵衛はそこを見逃さず、源吾に馬乗りとなって剣先をのど元にあて、思い切り源吾の首を掻ききったのでした。
 通常ならここで、ドバッと血潮が官兵衛の顔面を襲うところですが、そこはNHK.。茶の間に配慮して無血の勝利。

升毅

 「武兵衛!」官兵衛が武兵衛に駆け寄ろうとしますが、武兵衛の目は官兵衛に、赤松を追えと訴えています。
 その官兵衛の脇を、休夢が「赤松を追え!」そう叫びながら赤松軍を追撃していきます。
 後ろ髪引かれる思いを殺して、官兵衛も「馬、もて!」そう叫んで、この追撃軍に加わりました。
 その後姿に、虫の息となった武兵衛が「姫路をお頼み申します」と声をかけ、近寄ってきた善助に「若様をしっかり頼むぞ」と言い残して息絶えるのでした。

永井大

■ 苦い勝鬨

 こうして、赤松勢に勝利した黒田軍が姫路城に凱旋してきます。城内にへたりこむ傷ついた兵士たち。そこに武兵衛の姿はありません。
 そのことに気づいたお国が官兵衛に「武兵衛様は?」と問いかけても、官兵衛から答えは返ってきません。善助も下を向いたままなにもいいません。
 その様子にすべてを察したお国は、顔を覆ってその場に泣き崩れるのでした。
 しょこたん、あれはなかなかの演技でしたよ。これ1回でお国の出番が終わるのはやっぱりもったいないね。

 「武兵衛が姫路を守ってくれたんだよ」と光がお国に声をかけ、抱きすくめる様子を見ながら、官兵衛は剣を抜いて、思いを断ち切るようにみなにいいます。
 「さあ、みなのもの、勝鬨だ!
 みなも剣を抜いて応じます。
 「エイエイオー、エイエイオー
 しかし、それは笑顔のない、苦い勝鬨でした。

完全読本④

■ 新たな家臣

 赤松を退けて、姫路にもひと時の平穏が訪れます。青山・土器山合戦で多くの家臣を失った官兵衛は新たな家臣を集め始めました。
 その中には、職隆によく仕え先の合戦で戦死した家臣の息子、後の黒田家2番家老、井上九郎右衛門(演:高橋一生)や、小兵衛・武兵衛等の戦死で家名が途絶えた母里姓を継ぐことになる槍の名手、後の母里太兵衛(速水もこみち)など、後に黒田24騎と並び称され、勇名を馳せることになる若者がいました。


高橋一生
   (井上九郎右衛門 演:高橋一生)
 
速水もこみち
   (母里太兵衛 演:速水もこみち)

■ 信長の入京

 ドラマは姫路の官兵衛と、信長や秀吉の動きをシンクロさせながら進みます。
 官兵衛が赤松勢との最後の決戦にのぞもうとしていた約1年前、永禄11年(1568年)9月、信長は将軍、足利義昭を擁して上洛を果たします。
 京の地は、第13代室町将軍、足利義輝を暗殺した松永久秀と三好三人衆が仲間割れを起こし、戦乱の最中にあって荒れ果て、無政府状態に陥っていました。
 信長は、久秀と三人衆を京から追い落とした後、乱暴狼藉をはたらく者は即刻打ち首にするなど、綱紀を粛正して、1ヶ月足らずの間に荒廃した都を立ち直らせたのでした。

■ 信長と義昭の不和の芽生え

 同11年10月、足利義昭は第15代将軍に就任します。義昭は信長を副将軍に任じようとしますが、信長はそんな官位、官職は無用として、そのかわりに堺、大津、草津に代官をおくこと(直轄領とすること)を義昭に願い出て許されます。
 貿易の一大拠点である堺、草津、大津を直轄領にするということは、莫大な収益をもたらします。信長は名より実をとったのでした。
 
 また、信長は、義昭が将軍宣下の祝いに盛大な能楽を催すことにも釘をさします。能楽は13番ではなく5番で十分だというのです(13番と5番ではどう違うのか、調べてみましたが残念ながらよくわかりません。ごめんちゃい)。
 義昭は、「それでは朕の体面が・・・」と口ごもりますが、最後は「うん、わかった。そうしよう」と信長の提案を受け入れるのでした。
 早、天下の実権をめぐって、信長と義昭の間に軋轢がではじめたというところですね。

■ 軍師半兵衛の誕生

 その頃、近江では、隠棲した竹中半兵衛(演:谷原章介)(→詳しくはコチラ)のところに、秀吉が毎日のように通っています。織田家の軍師になってほしいと頼みにいっているのです。
 しかし、半兵衛は、おのれの野心のために身内をも手にかけるような信長に仕えたくはないと断ります。
 そんな半兵衛に、秀吉は「すべてはこの乱世を終わらせるためだ」と土下座して頼みます。
 秀吉のそんな真摯な姿に、半兵衛もとうとう根負けして、信長ではなく、あなたの軍師として仕えたいと秀吉の求めに応じたのでした。
 軍師半兵衛の誕生です。

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 この場面はよく三顧の礼に例えられますね。三顧の礼というのは、中国三国(魏、蜀、呉)時代の話です。
 蜀の宰相、劉備玄徳が、隠棲生活をおくっている諸葛亮孔明を、三顧の礼をもって蜀の軍師に迎え入れた故事によります。

 それともうひとつ。半兵衛は信長ではなく秀吉に仕えたいといいますが、形式は信長の配下となります。信長から秀吉に派遣されるのです。つまり、秀吉と半兵衛は対等な立場ということなのです。このように信長から部下がある武将に派遣されることを、当時は寄騎といっていました。
 ウィキペディアをみてみましょう。こんな説明があります。

 戦国大名たちは、在地の土豪である寄騎・寄子を寄親の家臣団に組み込ませると、寄親の力が大きくなりすぎるため、謀反の防止の観点から腐心した。そこで寄親を統率する戦国大名は、寄子たる在地土豪たちを陪臣(家臣の家臣)とはせずに直接的に臣従させる一方で、重臣や有力武将(寄親)に附属させ、在地土豪の軍事力を効率的に利用したのである。特に後北条氏、今川氏、上杉氏、武田氏などにしばしば見られる。


 半兵衛もこれから、信長から秀吉の寄騎として派遣され、秀吉のもとではたらくことになるのです。
 
               第5回放送「死闘の果てに」-26.2.2ー(おわり)


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2014-02-07 20:55 from ドラマ@見取り八段・実0段

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