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第6回放送「信長の賭け」-26.2.9ー(その①) - 軍師官兵衛-NHK大河ドラマ-プラットホーム

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第6回放送「信長の賭け」-26.2.9ー(その①)

■ そのとき信長は

 ドラマ「軍師官兵衛」は、官兵衛の動きと信長や秀吉をめぐる時代の流れを、いわばシンクロさせながら進むが、今週の「信長の賭け」をまとめるに当たって、これまで第1回「生き残りの掟」から第6回「信長の賭け」までの信長をめぐる動きについて年表風にまとめてみた。

 
信長をめぐる動き
年月信長をめぐる動き官兵衛の動き
1560(永禄3年)5.19
桶狭間の戦いで今川義元を破る。
官兵衛、元服(1561)
1562尾張統一を果たす。
1765(永禄8年)5.19松永久秀と三好三人衆、第13代将軍足利義昭を暗殺。
1567(永禄10年).8稲葉山城、落城。岐阜と改名し「天下布武」を宣言。職隆、官兵衛に家督を譲る。この頃、光と結婚。
1568(永禄11年).9足利義昭を守護し上洛を果たす。松寿丸(長政)誕生。
  同11月足利義昭、第15代将軍となる。青山・土器山の戦いで赤松軍を破る。
1570(永禄13年).6姉川の戦い、徳川織田軍が姉川で、浅井、朝倉連合軍を破る。
  同9月石山本願寺との合戦、始まる(第1次石山合戦)。
1571(元亀2).9.12比叡山延暦寺を焼き討ち。
1572(元亀3).9足利義昭の行状を非難する意見書をおくりつける。
  同10月武田信玄、上洛の兵を挙げる。三方が原で徳川軍、信玄に敗れる。
1573(元亀4年)足利義昭、京で挙兵するも信長、上京し、二条城を威嚇。義昭、降伏する。
  同7月義昭、追放。室町幕府の終焉。


■ 比叡山焼き討ちと信長包囲網

 今週のドラマ「軍師官兵衛」第6回「信長の賭け」は、比叡山延暦寺の焼き討ちに始まった。なぜ、この時期に信長が比叡山の焼き討ちを強行したのか。
 
 ドラマでは、信長をして「新しい世を作るためには、逆らう者は焼き尽くしてでも前に進むことが必要だ」といわしめている。比叡山を中世的旧勢力の代表とみて、これを徹底的に破壊しようとしたのである。
 それに、この当時の比叡山の学僧の腐敗はひどく、「天道のおそれをも顧みず、淫乱、魚鳥を食し」(信長公記)、およそ仏僧の都というにはほど遠い状態だった。

 しかし、比叡山の僧侶の腐敗などは比叡山を破壊するための大義名分で、信長が延暦寺焼き討ちを強行した真の狙いは、当時、足利義昭によって形作られた信長包囲網の個別撃破にあったと考えられる。
 上記年表にある姉川の戦いで、浅井・朝倉連合軍に勝利した信長だったが、浅井・朝倉勢はまだまだ勢力を温存していて信長を悩ませていた。その浅井・朝倉勢を背後で支援していたのが比叡山だったのである。
 石山本願寺など一向衆との争いも本格化し始めた。摂津には三好三人衆の残党がことあらばと上京の機会を狙っている。
 
 足利義昭は、信長包囲網を敷くために、これら諸勢力や武田信玄、上杉謙信、毛利輝元など有力諸大名に信長追討の「御内書」をおくり、反信長勢力の糾合を図っていた。まさに信長は四面楚歌の状況にあったのだ。
 
 京都の鬼門にあたる北東に位置し、王城鎮護の山とされた比叡山を焼き討ちにするなどという誰にも考えつかずなしえないことを、信長は自らを取り巻く四面楚歌の状況を打破するためにあえて行った。これが、延暦寺の焼き討ちだったのである。

 比叡山の焼き討ちが成功だったかどうかは極めて疑わしい。この神をも恐れぬ行為に反信長勢力はますます反発を強め、信玄の上洛にとっては格好の大義名分を与えることになるのである。
 幸いにして、信玄は上洛の途上で病死したために、信長は結果的に事なきを得たに過ぎない。信長には天分がついていたという以外にいいようがないだろう。
 
 それはさておきドラマ軍師官兵衛である。比叡山の焼き討ちのあと、浅井・朝倉勢、石山本願寺や各地で頻発する一向一揆、三好三人衆の残党との対立、遂には武田信玄の挙兵という切迫した事態の中で、信長は、近江で対峙している浅井・朝倉連合軍を秀吉に任せ、「本当の敵をあぶりだす」そういって岐阜に帰ってしまう。

■ 本当の「敵」

 信長のいう「本当の敵」とは誰か。それは、御内書を乱発して反信長勢力を糾合している足利義昭のことである。
 「このままだと、前は浅井・朝倉連合軍、後ろは武田信玄に挟み撃ちにされてしまうぞ。いったい、お屋形様は何をお考えなのだ!」と憤る秀吉に半兵衛が答える。
 「お屋形様は京に火の手が上がるのを待っておられるのでは。今、京を攻めれば逆賊になります。義昭様が先に兵をあげれば大義名分は信長様にあります

 信長はその「本当の敵」をあぶりだすために、義昭の行状を非難する17か条の意見書をおくりつけた。比叡山焼き討ちからほぼ1年後、信玄が挙兵してからのことである。

 「余が民百姓からも悪しき御所と噂されているじゃと? なにゆえ、そのようなことを信長ごときにいわれねばならぬ

 明智光秀が「ここは上様が折れることが肝要かと」そういって冷静な対応を求めると「そちは誰の家臣じゃ!」と怒り狂う義昭。信玄を頼みに思う義昭の挙兵は目前に迫っていた。

■ 義昭、挙兵

 その頃、信長は半兵衛のよみどおり、京に火の手が上がるのをまっていた。しかし、火の手が上がる前に信玄が攻め寄せてくれば、信長は滅びるしかない。一生一代の賭けである。
 お濃の鼓で、幸若舞「敦盛」を舞い終わった後、お濃に滅びることが怖くはないのかと聞かれ信長いわく
 「命を賭けての大勝負だ。これ以上面白いことはない。死のうは一定(確実に決まったこと。幸若舞の一節)。人はいずれ死ぬ。わしは自分の命を使い果たしたいのだ

 それを聞くお濃は、口元を押さえて笑いながら「そのときは私が殿のお供をいたしましょう

 そこに柴田勝家が飛び込んできて「殿っ!、義昭公が京で兵をあげました!
 
 弓場に向かって矢を引き絞っていた信長は「こたびもわしは勝ったぞ!」そういって矢を放つと、その矢はたがえず的のど真ん中を射抜いたのだった。

         第6回放送「信長の賭け」-26.2.9ー(その②に続く)


織田信長(江口洋介)


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