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第6回放送「信長の賭け」-26.2.9ー(その④) - 軍師官兵衛-NHK大河ドラマ-プラットホーム

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第6回放送「信長の賭け」-26.2.9ー(その④)

第6回放送「信長の賭け」-26.2.9ー(その③)から続く

■ かぶと仏

 ところで、閑話休題。
 太兵衛が身につけていたという「かぶと仏」。みなさんはこれまでにこの言葉を聞いたことがおありだろうか。
 私は初めてだった。ドラマの画面で官兵衛が手にしていた「かぶと仏」は、なんか木彫りの武将像の模型のようでもあり、仏様の模型のようでもあった。
 少し調べてみると、戦国武将が兜(かぶと)の中に入れて戦ったとされる小さな仏様のことだそうだ。
 学習塾経営、かわむら・たかおさんのサイト「
冑仏伝説 蒼天のクオリア」に次のような記述がある。引用しよう。

 甲冑師の三浦公法氏からは、武田信玄の兜について興味深い話を聞いた。
それによると、「甲斐国志」に「信玄首鎧ノ前立金ノ不動」に関する記述があり、調べてみると、信玄ゆかりの神社に秘蔵されていた、という。
 三浦氏に送っていただいた写真を見ると、厨子が我が家のものとよく似ていて、息が止まる思いだった。

 歴史をさかのぼると、平安時代に初の征夷大将軍に任じられた坂上田村麻呂に冑仏に似た秘仏の伝承があった。
 花巻市にある胡史王(こしおう)神社には、「坂上田村麻呂は兜の中心に薬師如来像を納めていた。
 それは、金銅仏で、小さな黒漆塗りの厨子にまつられている秘仏であった」との伝承が残っていたのだ。

 「吾妻鏡」には、源頼朝が平氏追討のために挙兵した直後の話として、出陣の際、幼いころから信仰していた観音像を、髪を頭頂部でまとめて束にした髻(もとどり)の中に納めた、という記述があった。
 また、同時期の武将、木曽義仲の菩提寺には、義仲が兜に納めたとされる「かぶと観音」が残っていた。

 戦国期の武将では、加藤清正が、長烏帽子形の兜の内部の頂上に日蓮上人の黄金像を安置していた、という伝承がある。
 これは、甲冑研究のバイブルというべき山上八郎著「日本甲冑の新研究」(一九二七年)に記されていた。

 上杉謙信の菩提寺、林泉寺では「兜守(かぶともり)」と呼んでおり、「一寸から一寸半くらいの小さな仏様が十五体ぐらいある。
 身分の低い武士は仏の姿や経文を木彫りにしてお守りにしていた。位が高くなると、木像を腰につるしていた」という話を聞いた。

 冑仏に関する記録はあまりにも少なく、これまで研究対象になることもなかったようだ。
 しかし、仏法や武術を相伝する場合、奥義は口伝によって伝えられる。このことを思えば、武将の私的な信仰の対象である秘仏、冑仏こそ、彼らの内面を理解する重要な鍵になるのではないだろうか。

 戦場に赴く前や、激しい戦闘を終えた後、ひそかに小仏に手を合わせていたかもしれない。
 こう考えると、勇壮、豪放といった言葉で語られる武将たちのイメージは一変する。

 塾講師の傍らでの研究のため、全国津々浦々まで調査の手を伸ばすことはできていない。ただ、生徒には、君たちが大人になったころ、テレビや映画の中で、戦国武将が兜から小さな仏像を取り出すシーンを目にすることになるかもしれない、と夢を語っている。

 これからも、ゆっくりと時間をかけて、冑仏の謎を追いかけていきたい。


 上の文章で、かわむらたかおさんが生徒さんに語られているシーンが、やや違った形ではあるが、ドラマ軍師官兵衛で実現したということになる。
 なるほどなあ。こうしてみると、歴史というのは実におもしろい。

kabutohotoke.jpg

 ドラマ軍師官兵衛で、太兵衛が持っていた「かぶと仏」はこんな感じをもう少し細身にしたような印象だったね。

       第6回放送「信長の賭け」-26.2.9ー(その⑤)に続く


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