官兵衛の生誕地
さっちゃん:あんた、何の雑誌読んでるん? なんか歴史書みたいやけど。
かっぱ:これはな、来年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」について書かれた本やねん。なかなかおもろいで。
さっちゃん:来年? また、気のお早いことで。軍師の話やったら大河ドラマでも何年か前にやってたんちゃうの?
かっぱ:それは、武田信玄の軍師やった山本勘助の話やね。あれも結構おもろかった。山本勘助役が内野聖陽、武田信玄役が市川亀治郎、そしてなんと上杉謙信役がGACKTやった。GACKTなんかに演技ができるんやろかて思ってたけど、結構はまってたな。内野聖陽はあれでブレイクして、最近では検視官役の「臨場」がよかった。「俺のみたては違うなあ」いう言い方が一時はやったな。
さっちゃん:一緒に、鍋つつきながら、よう観たわね。で、今度の軍師はんはどんな人なん?
かっぱ:黒田官兵衛いうて、豊臣秀吉に天下をとらせた男や。戦国一の軍師ていわれてる。竹中半兵衛て聞いたことあるやろ。竹中半兵衛も秀吉の軍師で、32歳という若さで早うに死んでしもたけど、黒田官兵衛と竹中半兵衛は「両兵衛」とか「二兵衛」と呼ばれてて、この2人がいてへなんだら、秀吉が天下を盗ることはできへんかったといわれてるんや。
さっちゃん:へ~、官兵衛はんてそんな偉い人やったん。で、その官兵衛はんは秀吉はんの軍師になってどんなことしはったん?
かっぱ:まあ、まあ、そうあせらんと。夜は長い。ちょびちょびいこか。今日は、まずはその黒田官兵衛がどこで生まれたかから話そか。先週、さっちゃんが奈良にいって買うてきた奈良漬が冷蔵庫にあったやんか。あれ、みじん切りにして小口切りしたきゅうり揉みと和えたら結構いけた(→きゅうり揉みの奈良漬和え)。それ当てに焼酎の湯割りでも飲みながら話そか。
さっちゃん:あ、あんた、いつの間にそんなもん作って一人で食べてたん。ホンマ、食い意地が張ってるんやから。
かっぱ:まあ、まあ、すぐ作るよってちょっと待っててや。さっちゃんは焼酎の湯割り作ってよ。濃いいやつ。
かっぱ:黒田官兵衛は戦国時代初期1546年の生まれや。織田信長が1534年、秀吉が1537年、徳川家康が1542年の生まれやから、チト、生まれるんが遅すぎた。もっと早うに名家にでも生まれてたら、間違いのう天下を盗ってたやろていわれてる。まあ、ちょっと悲運の武将やった。
播磨の国(→播磨国詳細)姫路城で生まれたといわれてる。当時の播磨は中央に小寺政職(まさもと)を領主とする小寺氏、西に室町時代からの名門、赤松氏、東に別所氏が勢力を分け合ってて、官兵衛はその小寺氏の家老で、姫路城の城代を務めてた小寺職隆(もとたか)の息子として生まれたんや。
さっちゃん:へえ、結構、えらいさんの子どもで生まれてるやん。家老いうたら、いまでいうたら会社の専務さんみたいなもんやろ?
かっぱ:確かにそうやな。官兵衛のひいおじいちゃんが軍律違反を犯して将軍の勘気を被って京を追われ、播磨の国に逃げ込んできて随分苦労したみたいやけど、官兵衛のじいちゃん、重隆に商才があってな、「玲珠膏」いう秘伝の目薬の販売がうまいこと当たって財をなし、姫路周辺の小豪族になったんやそうや。で、官兵衛の親父さんは、当時、結構勢いのあった小寺氏に臣従することにしたんやが、外様で家老にまでのぼりつめたんやから、まあ、相当、実力があったいうことやろな。
けど、官兵衛が姫路城で生まれたいうのは定説になってるけど、これには異説があるんや。最近、4月27日の毎日新聞にこんな記事が載ったそうなんや。ちょっと読んでみるわな。
「西脇市黒田庄町の黒田集落の住民ら約30人が、4月28日、豊臣秀吉を支えた軍師、黒田官兵衛(1546~1604年)の生誕地として地元をPRする『北播磨黒田官兵衛生誕地の会』を設立する。官兵衛は姫路生まれとされるが、来年の大河ドラマ「軍師官兵衛」にあわせて『黒田生誕説が有力』と市外に発信、ゆかりの地として集客をめざす」
さっちゃん:西脇市いうたらどこにあるの? この地名、どこかで聞いたことあるような気ぃがするけど。
かっぱ:姫路からずっと北東に上っていったら中国自動道に「滝野社」(たきのやしろ)いうインターチェンジがあるけど、その付近やな。俺もいったことないけど。
さっちゃん:で、西脇の人は、なんで官兵衛はんが西脇で生まれたに違いないいうてんのん?
かっぱ:さあ、そこや。この毎日新聞の記事だけではようわからんけど、黒田庄町黒田の荘厳寺が所蔵する江戸時代後期の「黒田家略地図」では、第7代黒田城主重隆の次男の「孝隆 官兵衛尉」が御着城主小寺家の猶子(養子)になったとの記述があって、これが根拠らしい。これだけ読んだんではなんのこっちゃ、ようわからんわな。
ま、それはとにかく、これから西脇市は黒田庄町を官兵衛ゆかりの地としておおいにPRして、これを町おこしに活用していこういうんやから、なんとも商魂たくましいこっちゃ。
ま、このことについては、また新しいことがわかったら教えたるわな。
で、どや、このきゅうり揉みの奈良漬和えは。結構、イケるやろ。
さっちゃん:きゅうりときゅうりの合い物やね。いとこ煮みたいなもんね。3点満点で3.5点てとこ。
かっぱ:はい、いただきました。3.5です。もうちょっとおまけして4点にならへん。ねえ、さっちゃんたら。
(官兵衛の生涯へと続く)
かっぱ:これはな、来年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」について書かれた本やねん。なかなかおもろいで。
かっぱ:それは、武田信玄の軍師やった山本勘助の話やね。あれも結構おもろかった。山本勘助役が内野聖陽、武田信玄役が市川亀治郎、そしてなんと上杉謙信役がGACKTやった。GACKTなんかに演技ができるんやろかて思ってたけど、結構はまってたな。内野聖陽はあれでブレイクして、最近では検視官役の「臨場」がよかった。「俺のみたては違うなあ」いう言い方が一時はやったな。
さっちゃん:一緒に、鍋つつきながら、よう観たわね。で、今度の軍師はんはどんな人なん?
かっぱ:黒田官兵衛いうて、豊臣秀吉に天下をとらせた男や。戦国一の軍師ていわれてる。竹中半兵衛て聞いたことあるやろ。竹中半兵衛も秀吉の軍師で、32歳という若さで早うに死んでしもたけど、黒田官兵衛と竹中半兵衛は「両兵衛」とか「二兵衛」と呼ばれてて、この2人がいてへなんだら、秀吉が天下を盗ることはできへんかったといわれてるんや。
さっちゃん:へ~、官兵衛はんてそんな偉い人やったん。で、その官兵衛はんは秀吉はんの軍師になってどんなことしはったん?
かっぱ:まあ、まあ、そうあせらんと。夜は長い。ちょびちょびいこか。今日は、まずはその黒田官兵衛がどこで生まれたかから話そか。先週、さっちゃんが奈良にいって買うてきた奈良漬が冷蔵庫にあったやんか。あれ、みじん切りにして小口切りしたきゅうり揉みと和えたら結構いけた(→きゅうり揉みの奈良漬和え)。それ当てに焼酎の湯割りでも飲みながら話そか。
さっちゃん:あ、あんた、いつの間にそんなもん作って一人で食べてたん。ホンマ、食い意地が張ってるんやから。
かっぱ:まあ、まあ、すぐ作るよってちょっと待っててや。さっちゃんは焼酎の湯割り作ってよ。濃いいやつ。
かっぱ:黒田官兵衛は戦国時代初期1546年の生まれや。織田信長が1534年、秀吉が1537年、徳川家康が1542年の生まれやから、チト、生まれるんが遅すぎた。もっと早うに名家にでも生まれてたら、間違いのう天下を盗ってたやろていわれてる。まあ、ちょっと悲運の武将やった。
播磨の国(→播磨国詳細)姫路城で生まれたといわれてる。当時の播磨は中央に小寺政職(まさもと)を領主とする小寺氏、西に室町時代からの名門、赤松氏、東に別所氏が勢力を分け合ってて、官兵衛はその小寺氏の家老で、姫路城の城代を務めてた小寺職隆(もとたか)の息子として生まれたんや。
さっちゃん:へえ、結構、えらいさんの子どもで生まれてるやん。家老いうたら、いまでいうたら会社の専務さんみたいなもんやろ?
かっぱ:確かにそうやな。官兵衛のひいおじいちゃんが軍律違反を犯して将軍の勘気を被って京を追われ、播磨の国に逃げ込んできて随分苦労したみたいやけど、官兵衛のじいちゃん、重隆に商才があってな、「玲珠膏」いう秘伝の目薬の販売がうまいこと当たって財をなし、姫路周辺の小豪族になったんやそうや。で、官兵衛の親父さんは、当時、結構勢いのあった小寺氏に臣従することにしたんやが、外様で家老にまでのぼりつめたんやから、まあ、相当、実力があったいうことやろな。
けど、官兵衛が姫路城で生まれたいうのは定説になってるけど、これには異説があるんや。最近、4月27日の毎日新聞にこんな記事が載ったそうなんや。ちょっと読んでみるわな。
「西脇市黒田庄町の黒田集落の住民ら約30人が、4月28日、豊臣秀吉を支えた軍師、黒田官兵衛(1546~1604年)の生誕地として地元をPRする『北播磨黒田官兵衛生誕地の会』を設立する。官兵衛は姫路生まれとされるが、来年の大河ドラマ「軍師官兵衛」にあわせて『黒田生誕説が有力』と市外に発信、ゆかりの地として集客をめざす」
さっちゃん:西脇市いうたらどこにあるの? この地名、どこかで聞いたことあるような気ぃがするけど。
かっぱ:姫路からずっと北東に上っていったら中国自動道に「滝野社」(たきのやしろ)いうインターチェンジがあるけど、その付近やな。俺もいったことないけど。
さっちゃん:で、西脇の人は、なんで官兵衛はんが西脇で生まれたに違いないいうてんのん?
かっぱ:さあ、そこや。この毎日新聞の記事だけではようわからんけど、黒田庄町黒田の荘厳寺が所蔵する江戸時代後期の「黒田家略地図」では、第7代黒田城主重隆の次男の「孝隆 官兵衛尉」が御着城主小寺家の猶子(養子)になったとの記述があって、これが根拠らしい。これだけ読んだんではなんのこっちゃ、ようわからんわな。
ま、それはとにかく、これから西脇市は黒田庄町を官兵衛ゆかりの地としておおいにPRして、これを町おこしに活用していこういうんやから、なんとも商魂たくましいこっちゃ。
ま、このことについては、また新しいことがわかったら教えたるわな。
で、どや、このきゅうり揉みの奈良漬和えは。結構、イケるやろ。
さっちゃん:きゅうりときゅうりの合い物やね。いとこ煮みたいなもんね。3点満点で3.5点てとこ。
かっぱ:はい、いただきました。3.5です。もうちょっとおまけして4点にならへん。ねえ、さっちゃんたら。
(官兵衛の生涯へと続く)
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