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安国寺恵瓊 - 軍師官兵衛-NHK大河ドラマ-プラットホーム

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安国寺恵瓊

■ 信長の死を予言

 安国寺恵瓊といえば、信長の死を予言したことで有名である。
 安国寺恵瓊は、戦国時代、毛利家の外交官として暗躍し、信長にも謁見して秀吉とも誼を通じ、その能力を買われて、秀吉が天下をとったあとには、僧としては異例の万石大名になったことで知られる。
 その恵瓊が、天正元年(1573年)12月12日付、児玉三右衛門・山県越前守・井上春忠宛書状にこう記しているのである。
 
 
信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候。藤吉郎さりとてはの者にて候」

 本能寺の変で、信長が明智光秀の謀反によって横死するのが1582年であるから、恵瓊は信長の絶頂期にあって、早、信長の将来を見通していたのである。
 書状は、そのあと唐突に「藤吉郎さりとてはの者にて候」と続く。まだ、秀吉がいわば侍大将ぐらいの地位で木下藤吉郎と名乗っていたときに、すでに恵瓊は秀吉の能力を高く買っていたことがうかがえる。
 結局、あまりもの秀吉への傾倒が、関ヶ原の役では、恵瓊をして西軍に属せしめ、最後には小西行長たちとともにきゅう首に処せられることになる。

■ 恵瓊の一生

 そんな恵瓊の一生をウィキペディア「安国寺恵瓊」から拾い読みしてみよう。

◆ 生年と僧侶時代
 
 生年には諸説があり、天文8年(1539年)とも天文6年(1537年)ともいわれる。父親に関しても安芸武田氏の一族である武田信重の子とも、伴繁清の子とも伝わる。
 東福寺時代、天文10年(1541年)、毛利元就の攻撃で安芸武田氏が滅亡すると、家臣に連れられて脱出し、安芸の安国寺(不動院)に入って出家した。
 
 毛利家は恵瓊にとって憎き親の敵であった。見つかれば間違いなく殺害される。当時、それを逃れようと思えば出家の道しかなかったのだろう。
 僧としては天正2年(1574年)に安芸安国寺の住持となり、後に東福寺、南禅寺の住持にもなり、中央禅林最高の位にもついた。僧として余程に優秀だったのだろう。

◆ 毛利家臣時代

 その恵瓊が、なぜ毛利家の家臣となったかはよくわかっていない。恵瓊の師匠、恵心が毛利家と親交があり、毛利家も恵心に帰依していたからだともいわれる。憎き親の敵なれど、それは恩讐のかなたにということかもしれない。
 恵瓊は毛利家にあって頭角を現し、毛利家の外交を一手に引き受けることになる。特に毛利の両川といわれた小早川隆景からの信任が厚かったようだ。

 毛利の外交官時代で特に印象に残るのは、秀吉の高松城ぜめにおける収拾である。
 天正10年(1582年)、毛利氏が羽柴秀吉と備中高松城で対陣していた(備中高松城の戦い)最中に本能寺の変が起き、織田信長が横死した。
 このとき、秀吉はその事実を隠して、毛利氏に割譲を要求していた備中国・備後国・美作国・伯耆国・出雲国を、高松城主・清水宗治の切腹を条件に備中・美作・伯耆とする和睦案を提示し、外交僧である恵瓊はその和睦を取りまとめた。

 この和睦は、秀吉側では黒田官兵衛が担当している。史実上はあきらかではないが、この和睦の席に、恵瓊が既に信長の横死を知った上で臨んだとの説もある。
 恵瓊の秀吉への傾倒がそんな憶測を呼んでいるのだろう。

◆ 秀吉時代

 恵瓊は、四国征伐後、伊予国和気郡に2万3,000石を与えられ、天正14年(1586年)の秀吉の九州征伐後は6万石に加増され、僧でありながら豊臣大名という異例の立身出世を遂げた。

◆ 関ヶ原

 恵瓊は、毛利一族の中では親秀吉派の中心であった小早川隆景に近く、親家康派の吉川広家と対立し、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、懇意であった石田三成と通じて西軍に与し、毛利一族の当主・毛利輝元を西軍の総大将として担ぎ出すことに成功した。

 9月15日の関ヶ原における合戦では、毛利秀元・吉川広家とともに徳川家康軍の後方に騎馬700、足軽3,000という部隊で陣取った、
 が、前に布陣する広家が家康に密かに通じて毛利軍の参戦を阻んだため、家臣椎野道季を派遣して問い質すも広家に言い抜けられ、結局戦闘に参加することなく、西軍は敗北した。

 敗北後、恵瓊は一旦毛利本家の陣に赴き、吉川広家に諭され逃亡し、京の本願寺に匿われ、京都の六条辺に潜んでいたが、奥平信昌隊の鳥居信商(長篠城攻防戦で使者として高名の鳥居強右衛門の子)に捕縛されて、西軍首脳の1人として、六条河原にて斬首され、石田三成・小西行長と共に梟首に処せられた。 
 


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