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第7回放送「決断のとき」-26.2.16ー(その③) - 軍師官兵衛-NHK大河ドラマ-プラットホーム

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第7回放送「決断のとき」-26.2.16ー(その③)

第7回放送「決断のとき」-26.2.16ー(その②)から続く

■ 上月景貞と力

 恵瓊が播磨の諸領主を毛利家に引き込む工作をしている頃、上月景貞に嫁いでいた光の姉、力が光に合いに姫路を訪れた。

 「我が夫は毛利につくことを決めました。上月の城は播磨の西のはずれ。毛利に従わなければ生きてはゆけぬ。それに織田信長は仏敵です。光、官兵衛殿は織田びいきと聞きますがそれは本当ですか? 黒田家が織田方についたなら間違いなく滅びます。あなたから官兵衛殿に、毛利についたほうがいいとそれとなく言い含めるのです

 光が力の話を聞きながら、さあ、どう答えたものかと困っていると、そこに官兵衛が入ってきた。
 「義姉上、お久しぶりです
 力は慌てて、話題を変え、「子安八幡様のお札です。昔から子宝に恵まれるといいます」そういって、お札を光に渡すと、官兵衛にはあやしげな薬草の入った袋を手渡し、官兵衛の耳元に口を寄せて「これは南蛮渡来の秘薬です。寝る前にお飲みなさい
 まあ、精力増強剤ですな。
 
 こうして、力はあいさつもそこそこに帰ってしまった。
 「何しにこられたのだ。まさかお札と薬を届けにまいられたわけでもあるまい
 光は「それが・・・」とくちごもるばかりだった。
 

■ 上月城

 上月景貞の居城といわれた上月城。これから毛利と織田の戦いの最前線にある城として何度も登場することが予想されるので、その位置関係や歴史を簡単にみておこう。
 現在は城跡しか残っていないが、場所は兵庫県作用郡作用町にあった。西側が、当時、毛利に属していた宇喜多直家の支配する備前の国であり、まさに播磨の西端、毛利と境を接する最前線に位置していた。山城である。

上月状地図

上月城跡地
                      (上月城跡)

 戦国時代、西播磨5郡16万石は、赤松家に属する赤松政範(官兵衛と戦った赤松政秀ではない)が支配していたが、上月城はその赤松政範の居城だった。
 しかし、天下布武を旗頭に毛利討伐をもくろむ信長は、この上月城の攻略を秀吉に命じ、政範は毛利、宇喜多氏と同盟してこれに対抗したが、秀吉に破れ自刃した。
 その後、上月城を宇喜多直家が奪回、城主に上月景貞をすえた。ドラマ上は、この上月景貞が力の夫ということになっているが、史実はあきらかではない。
 
 天正6年(1578年)、秀吉の再度の播磨出兵で、上月城は落城。景貞は討ち死にした。
 この戦いには、織田方に属した官兵衛も加わっており、力、光が敵味方に分かれて争うことになっている。
 景貞は味方に裏切られての討ち死にだったが、力とその子らは官兵衛の手によって助け出された。 
 秀吉は奪い返した上月城を、毛利元就によって滅ぼされた尼子一族(尼子勝久、山中鹿之助ら)に守らせたが、毛利が30000余の大軍をもって包囲、秀吉もこれに対抗すべく、信長の出陣を仰ぎ、上月城はまさに毛利、織田双方にとって、決戦の舞台になろうとしていた。

 しかし、信長は秀吉の出陣要請を拒否。上月城を捨てて、突如、信長に反旗を翻した三木城攻略を命じたために、秀吉らは泣く泣く尼子一党を見捨てることとなった。

 この上月城の戦いは、これからドラマ軍師官兵衛で、官兵衛と山中鹿之助の交情を交えながら熱く語られることになる。

       第7回放送「決断のとき」-26.2.16ー(その④)に続く



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