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第7回放送「決断のとき」-26.2.16ー(まとめ) - 軍師官兵衛-NHK大河ドラマ-プラットホーム

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第7回放送「決断のとき」-26.2.16ー(まとめ)

■ 第7回放送「決断のとき」(あらすじ)

 まずは、第7回放送「決断のとき」のあらすじを追ってみよう。

◇ 岐阜では

 天正元年(1573年)3月、信長は4年近く続いた浅井・朝倉連合軍との戦いに勝利した。侍大将だった木下藤吉郎はその功により、北近江を拝領し大名となった。これを機に名前を羽柴秀吉と改めた。
 その名は、信長の老臣、柴田勝家の柴と丹羽長秀の羽からとったのである。
 
 天正3年(1575年)5月、織田・徳川連合軍は、世にいう「長篠の戦い」で武田軍に壊滅的な打撃を与えた。3000挺ともいわれた鉄砲を使用する新戦術によって、天下に名だたる武田騎馬軍団はここに滅んだ。

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◇ 姫路では

 この信長の動きに、播磨の各領主は、西の毛利につくべきか、東の織田につくべきかその去就に迷っていた。
 そんな中、毛利の外交僧、安国寺恵瓊が、各領主に毛利につけば所領を安堵する旨を説いてまわり、三木の別所長冶を除けば、播磨のほとんどの領主は毛利につくという情勢下にあった。
 
 小寺家も同様だった。左京亮の死を受けてあとを継いで家老となった左京進が積極的に工作し、政職も毛利につく意思を固めたのだ。
 黒田家でも、家臣の間で喧々諤々の議論が噴出した。毛利につけば所領は安堵されるが、織田の力は火の出の勢いだ。
 
 そんな中、官兵衛はどうすべきか悩みに悩む。左京進から「上月に嫁いだ光の姉、力と兄弟で相い争うようなことはすべきではない」といわれ、口ごもる官兵衛。
 父、職隆に相談すると、「おじじならば何といわれたであろう。失うことを恐れてはならない」そう諭され、すべては生き残るためにどうすればいいか、考えに考え抜いたあげく、官兵衛はひとつの結論に達する。
 
 左京進に説得され毛利につくと決めた政職だが、家臣の意向を聞くため、御着城で大評定を開いた。
 「毛利につくべきか織田につくべきか、みなの存念を申してみよ」との政職の問いに、老臣の小河、江田、左京進たちが口々に毛利につくべきだと主張する中にあって、最後に官兵衛が口を開いた。
 「私は織田につくべきと存じます
 ざわつく評定。官兵衛はその理由を説く。
 「毛利には天下を望む気概がございませぬ。これに比し、信長は公然と天下布武を掲げ、また、楽市・楽座、関所を配するなど次から次へと新たな試みを取り入れ、その領内は繁栄を極めておりまする。家中においては、門地・門閥によらず人材を登用し、才覚あるものが雨後のたけのこのごとし。武勇、知謀ともに備わった織田信長こそ、天下人となるに相違ありませぬ
 「殿、小寺家100年の大計にございまする。天下の潮流に遅れてはなりませぬ。ここで見誤れば、当家は間違いなく滅びまする。すべては生き残るため。われらが生き残る道はこれしかありませぬ!
 いったんは毛利につくと決めていた政職だが、官兵衛の熱弁に心を揺さぶられ、そして意思を翻す。
 「相わかった。わしは官兵衛の意見をよしとする。当家は織田につくこととする!
 
 こうして、小寺家は織田方につくことに決し、官兵衛は信長にその意向を伝えるべく、岐阜に向かい、織田家中の居並ぶ中、信長に謁見することになるのだった。

 まあ、こんなあらましである。それにくわえて、官兵衛は「政職から子どもをもらいうけてきた。面倒をみてやってくれ」と光に託す。将来の後藤又兵衛の登場である。
 又兵衛は光によってわが子同然に育てられ、松寿丸のよき遊び相手になるが、官兵衛なき後、長政と決定的に対立することになる。それはのちのこと。

 それでは、次に今回の内容を詳しくみていこう。

■ 安国寺恵瓊登場

 安国寺恵瓊(→コチラ)といえば、毛利家の対外外交を一手に引き受けた僧侶である。恵瓊は毛利の外交官として、織田家では羽柴秀吉と特に交わりが深かった。
 恵瓊が毛利家に書き送った書状に有名な一節がある。こうである。

 信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候。藤吉郎さりとてはの者にて候」

 この書状が出されたのが天正元年(1573年)12月のことで、本能寺の変で、信長が明智光秀の謀反によって横死するのが1582年であるから、恵瓊は信長の絶頂期にあって、早、信長の将来を見通していたのである。
 書状は、そのあと唐突に「藤吉郎さりとてはの者にて候」と続く。まだ、秀吉がいわば侍大将ぐらいの地位で木下藤吉郎と名乗っていたときに、すでに恵瓊は秀吉の能力を高く買っていたことがうかがえる。
 恵瓊は外交官としても優れていたが、人物眼にも長けていた。 

 その恵瓊が、官兵衛に会いにやってきた。官兵衛の腹を探りにきたのだ。
 黒田家では、叔父の休夢、善助、太兵衛、九郎右衛門、兵庫助(初登場。官兵衛の実弟→コチラ)らが官兵衛に、会わないほうがいいのではないかと進言するが、官兵衛は「危ういおもいまでしてやってきたのだ。面白い。会おう」そういって恵瓊に会うことにした。

 「遠路はるばるご苦労に存ずる。して、ご用むきは?」
 「世は乱れております。播磨にその名をとどろかす官兵衛殿のご存念をお聞きしたい。小寺家は今のままでよいとお考えかな?」
 「織田信長が現れ、天下の形勢、大きくかわりました。われらもこのままというわけには参らぬと思っております」
 「織田は強い。天下布武を掲げ、今、もっとも勢いがあるやもしれませぬな。武田信玄もこの世を去ったことでもあるますし」

 
 この時点で、武田信玄が死んだことは武田家内部の秘中の秘であったが、恵瓊は既にそのことを知っていた。さすがに早耳。どちらも情報の把握は早い。お互いの腹のさぐりあいが続く。

 「毛利は大国。その領内はすでに10カ国に及びます。さらに東に勢力をのばす野心をお持ちでは?」
 「滅相もない。領国を守り、天下を望むなかれというのが、亡き元就公のご遺言でござるゆえ」
 「されど、織田は天下統一のために西に手を伸ばしてくるのは必定」
 「さすれば、毛利も領国を守るために戦うしかありませぬな」
 「毛利と織田の戦いでござるか…」
 「官兵衛殿はどちらが勝つと思われるか?」
 「今、戦えば、備えのできていない織田に勝ち目はないかもしれませぬ。されど、1年後、2年後であれば…」
 「織田が勝つと?」
 「わかりませぬ。しかし織田は日一日と大きくなっております」
 「毛利もせいぜい力をつけなければなりませぬな。いや、今日はまことに面白うございました。いずれまた…」

 
 立ち去りかけた恵瓊は振り返り

 「浅井・朝倉も、まもなく信長殿の手によって滅びましょうな」

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(安国寺恵瓊 演:山路和弘 大河ドラマ初出演。主な出演作に「突入せよ!あさま山荘事件」「踊る大捜査線THEFINAL 新たなる希望」などがある。

■ 閑話休題

 それはそうと、今回の放送からナレーションが藤村志保さんから広瀬修子さんに代わったね。藤村志保さんのナレーションはやや不評だったが、広瀬さんはどうだろう。
 私はいいと思う。「そうこの声だ」とその昔、何回か広瀬さんのナレーションを聞いたことを思い出した。
 藤村志保さんの降板は、背骨骨折というやむを得ない理由によるものだが、このまま、最後まで広瀬さんにナレーションを担当いただきたいものである。
 藤村さん、ごめんね。

広瀬修子①
                 (広瀬修子さん)

■ 毛利氏

 第6回「信長の賭け」でも、最後の方で、毛利輝元を囲んで小早川隆景と吉川元春が、近畿の情勢について話し合う場面があったが、今回からは初手から毛利家の外交僧である安国寺恵瓊が登場する。
 これから、播磨では毛利家に従うか織田家に臣従するかをめぐって、各領主間で浮沈をかけた争いが展開されるのである。

 そこで、ここで簡単に当時の毛利氏の状況を見ておきたいと思う。


 元亀2年(1571年)、毛利元就が死んだ。信長が比叡山の焼き討ちを行った年である。享年75歳。
 このとき、毛利家の版図は、元就の根拠地である安芸国をはじめ、備後・備中のほぼ全域、出雲、石見、伯耆の半国、周防、長門、伊予の一部、筑前と豊前の一部にまで及んだ。まさに中国地方の覇者だった。

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 元就は、3人の子(毛利隆元、小早川隆景、吉川元春)に「三子教訓状」(→ウィキペディア)などにより家訓を残したが、その中でも、以後の毛利の天下に臨む態度として重要なのは、次の2つの教えだった。

 1つ目はこうである。

 「我が毛利家は、版図の保全のみを願い、天下を望むなかれ。天下を支配する者は、いかに栄耀栄華を誇っても、何代かのちには一門の枝折れ、株絶えて、末代の子孫まで続くことはない。天下に旗を翻して武名を一世にあげるよりは、むしろ60余州を5つに分けてそのひとつを保ち、栄華を子々孫々まで残せ」

 2つ目は「3本の矢」の逸話である。

 ある日、元就は3人の息子(隆元、元春、隆景)を枕元に呼び寄せ、1本の矢を折るように命じた。息子たちが難なくこれを折ると、次は3本の矢束を折るように命じたが、息子たちは誰も折ることはできなかった。元就は1本では脆い矢も束になればこのように折れることがない。3人が相協力してこそ、毛利家を子々孫々まで存続していくことができると教えた。

 隆元が死んで、元就の孫、輝元が毛利家の当主となってからは、この2つの家訓を守って、小早川隆景と吉川元春が輝元をよく補佐し、官兵衛のこの時代、毛利家は中国地方をよくおさめていたのである。

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                     (毛利元就画像)

 しかし、天下を望まないといっても防御するばかりが能ではない。時には積極的に打って出るのも防御のためには必要なことである。
 伸張著しい信長に対抗し、毛利家を守っていくためには、隣国である播磨の諸領主を毛利方に引き込んでおくことは、毛利家を守り通すためには欠かせなかった。積極的防御。それが安国寺恵瓊の播磨諸領主への調略に繋がっていたのだろう。

■ 上月景貞と力(りき)

 恵瓊が播磨の諸領主を毛利家に引き込む工作をしている頃、上月景貞に嫁いでいた光の姉、力が光に合いに姫路を訪れた。

 「我が夫は毛利につくことを決めました。上月の城は播磨の西のはずれ。毛利に従わなければ生きてはゆけぬ。それに織田信長は仏敵です。光、官兵衛殿は織田びいきと聞きますがそれは本当ですか? 黒田家が織田方についたなら間違いなく滅びます。あなたから官兵衛殿に、毛利についたほうがいいとそれとなく言い含めるのです

 光が力の話を聞きながら、さあ、どう答えたものかと困っていると、そこに官兵衛が入ってきた。
 「義姉上、お久しぶりです
 力は慌てて、話題を変え、「子安八幡様のお札です。昔から子宝に恵まれるといいます」そういって、お札を光に渡すと、官兵衛にはあやしげな薬草の入った袋を手渡し、官兵衛の耳元に口を寄せて「これは南蛮渡来の秘薬です。寝る前にお飲みなさい
 まあ、精力増強剤ですな。
 
 こうして、力はあいさつもそこそこに帰ってしまった。
 「何しにこられたのだ。まさかお札と薬を届けにまいられたわけでもあるまい
 光は「それが・・・」とくちごもるばかりだった。


■ 上月城

 上月景貞の居城といわれた上月城。これから毛利と織田の戦いの最前線にある城として何度も登場することが予想されるので、その位置関係や歴史を簡単にみておこう。
 現在は城跡しか残っていないが、場所は兵庫県作用郡作用町にあった。西側が、当時、毛利に属していた宇喜多直家の支配する備前の国であり、まさに播磨の西端、毛利と境を接する最前線に位置していた。山城である。

上月状地図

上月城跡地
                      (上月城跡)

 戦国時代、西播磨5郡16万石は、赤松家に属する赤松政範(官兵衛と戦った赤松政秀ではない)が支配していたが、上月城はその赤松政範の居城だった。
 しかし、天下布武を旗頭に毛利討伐をもくろむ信長は、この上月城の攻略を秀吉に命じ、政範は毛利、宇喜多氏と同盟してこれに対抗したが、秀吉に破れ自刃した。
 その後、上月城を宇喜多直家が奪回、城主に上月景貞をすえた。ドラマ上は、この上月景貞が力の夫ということになっているが、史実はあきらかではない。
 
 天正6年(1578年)、秀吉の再度の播磨出兵で、上月城は落城。景貞は討ち死にした。
 この戦いには、織田方に属した官兵衛も加わっており、力、光が敵味方に分かれて争うことになっている。
 景貞は味方に裏切られての討ち死にだったが、力とその子らは官兵衛の手によって助け出された。 
 秀吉は奪い返した上月城を、毛利元就によって滅ぼされた尼子一族(尼子勝久、山中鹿之助ら)に守らせたが、毛利が30000余の大軍をもって包囲、秀吉もこれに対抗すべく、信長の出陣を仰ぎ、上月城はまさに毛利、織田双方にとって、決戦の舞台になろうとしていた。

 しかし、信長は秀吉の出陣要請を拒否。上月城を捨てて、突如、信長に反旗を翻した三木城攻略を命じたために、秀吉らは泣く泣く尼子一党を見捨てることとなった。

 この上月城の戦いは、これからドラマ軍師官兵衛で、官兵衛と山中鹿之助の交情を交えながら熱く語られることになる。

■ 毛利か織田か

 播磨の動きを探っていた広峯神社の御師(おし)、文四郎が戻り、官兵衛の前に地図を広げていった。
 「備前の宇喜多直家が毛利につきました
 官兵衛はそれを聞いてうなずき、「上月も毛利についたようだ
 「宇喜多にならって、播磨の地侍は続々と毛利になびいております。毛利の使者が各地を説いて回っているようです、今やはっきり織田についているのは三木の別所ぐらいでしょう。しかし、その別所も家中では織田か毛利かとふたつに割れているそうにございます
 安国寺恵瓊の工作が実を結びつつあるのだ。


 数日後、官兵衛は、叔父の休夢、善助、九郎右衛門、太兵衛、弟の兵庫助を集めて、みなに腹蔵のない意見を求めた。

 井上九郎右衛門が口火を切った。
 「毛利につくのが安泰じゃ。中国者の律儀という。毛利は義に厚く、一度盟約を結べば決して裏切らぬ
 この意見に善助は反論する。
 「おぬしは織田の強さをわかっておらぬ。わしはこの目で織田の戦をみてきた。あの軍勢を敵に回してわれらに勝ちはない。織田につくべきじゃ
 休夢は信長の所業を非難する。
 「織田が強いということに異論はない。が、その所業が目にあまる。比叡山の焼き討ちや長島の一向一揆をみてみろ。老若男女を問わずみな殺しじゃ
 「信長は、浅井親子と朝倉のしゃれこうべを金箔で塗り固め、それで祝杯をあげたというではないか」九郎右衛門が、いかにもおぞましいという顔つきでいった。
 
 官兵衛は、みなの話を口をはさまず黙って聞いた。

■ その頃、御着城では

 御着の城でも、政職が織田か毛利かどちらにつくべきか迷っていた。
 「信長は西に攻めてくるかのう
 答える相手は、櫛橋左京亮をついで家老となっている左京進である。
 「武田を倒した今、西に手を伸ばしてくるのは間違いありませぬ。今のうちに毛利と誼を通じるのが賢明でございまする。義を重んじる毛利につけば、小寺家は安泰です
 ここにも安国寺恵瓊の手は伸びていたのだ。
 「相わかった。わしは毛利につく。早々に評定を開き、みなのものに申し渡すことといたそう

■ 左京進と官兵衛

 左京進は官兵衛が織田びいきなのをよく知っている。
 評定に先立ち、左京進は姫路を訪れ、官兵衛に会って、政職が毛利に加担する肝を据えたと話し、官兵衛に評定で違背なきよう根回しを図った。
 「殿は毛利につくとの仰せだ。これから織田と戦になるやもしれぬ。これまでとは桁違いの大戦だ。官兵衛、おぬしとはいろいろあったが、これからは小寺家のために力をあわそうではないか
 「確かに、毛利につけが所領は安堵されるが…
 「よいか、官兵衛。力が嫁いだ上月も毛利と盟約を結んだのだぞ。もし、われらが織田と組めば、力と光は敵味方。姉妹で戦わせる気か? 光をなかせるな!
 官兵衛が黙っていると、そこに光が酒を運んできた。
 「お話はまとまったのですか?
 「ああ、官兵衛はわかってくれた
 「では毛利に?
 「ああ、そうだ。よかったな、光、これで姉妹同士で戦わなくてもすむ
 左京進は機嫌よく盃を重ねたが、官兵衛はなにか煮え切らない。

■ 官兵衛の決断

 評定を目前に控えた官兵衛は、姫路城を眼下に見下ろすことのできる岡の上で、職隆と轡(くつわ)を並べた。
 「御着で評定が開かれるらしいな。まだ、まよっているのか?
 「確かに毛利につけば所領は安堵されましょう。織田ではそういうわけにはまいりませぬ。盟約を結んでも役にたたないと判断されれば切り捨てられかねませぬ。毛利には天下を望む覇気はありませんが、織田は日の出の勢い。織田と戦えば毛利とともに滅びるかもしれませぬ
 「されば織田につくのが賢明ではないか
 「されど、判断を誤れば、おじじ様や父上がこれまで築き上げてきたものをすべて失うことになりまする
 「官兵衛。失うことを恐れるな。お前が判断し決めるのだ。こういうとき、おじじ様ならどういわれたかわかるか
 「すべては生き残るため・・・
 「そうだ。すべてはこの乱世に生き残るため。そのめにおまえが最善と考える道を選べばよいのだ
 官兵衛はもう一度姫路の景色を眺め、意を決して馬を走らせるのだった。

■ 御着大評定

 さあ、いよいよ御着城で大評定が開かれた。

 政職が、家臣一同を見回し、おもむろに口火を切った。
 「天下の形勢さだまらぬ今、当家の行く末を決めようと思う。毛利につくか、織田につくか。みなの存念を聞きたい。思うところあらば、遠慮なくもの申せ

 真っ先に発言したのは、老臣、小河である。
 「それがしは毛利につくべきと存じます。毛利につけば小寺家は安泰
 これに、老臣、江田、左京進も同調し、左京進がいう。
 「毛利につくしか道はござらん。官兵衛もそれがしと同じ存念にございます
 一同、せきとして声はない。

 左京進の言葉に、政職は官兵衛のほうを念を押すように見た。


 官兵衛は意を決していった。
 「それがしは織田につくが最善の道と心得まする
 座がざわめいた。
 「官兵衛、何をいいだす。話が違うではないか!」と左京進。 それを制して、
 「しばらく、私の考えをお聞きいただきたい」官兵衛は前に進み出て、政職に向き合った。
 「 毛利は確かに大国ではございますが、先君、元就公の遺訓にしたがい、自国の領土を守るのみで、天下に覇を唱えようとする気概がありませぬ。しかも、家督を継いだのは若い輝元殿。吉川と小早川という輝元公の叔父が補佐していますが、これは、輝元公がお二方の補佐なくば采配を振るえない若輩者ということでござる。そのようなものを大将にいただいて、あの織田に勝てるわけがございますまい

 小河、江田も二の句が継げず、左京進は憤懣やるかたない表情で官兵衛をみつめている。
 続けて、官兵衛はいった。
 「一方、織田信長は堂々と天下布武を掲げておりまする。『国をおさむるものは、義立てばすなわち王たり』織田は大義をもって兵を進めているからこそ、わずか尾張半国から身を起こし、今川義元、浅井、朝倉を滅ぼし、さらに武田をも打ち破ることができたのでござる。その勢いは大河のごとくとどまるところをしりませぬ

 政職も官兵衛の弁舌に圧倒されて聞いている。
 「さらに織田の強みは大義だけではござらぬ。なによりその政(まつりごと)。国を強くするには、民を強くせねがなりませぬ。織田は、楽市、楽座、関所を排するなど、新たな試みを次から次へと取り入れ、その領内は繁栄をきわめておりまする。人々がおのずと集い、財も集まる。家中においては、門地、門閥によらず取り立てるゆえ、才覚ある者がそろい、万全の構えにあります。武勇、智謀とも備わった織田信長こそ、天下人となるに相違ありませぬ

 官兵衛の言に淀みはない。政職もその言に聞き入った。
 「殿、小寺家100年の大計にございます。天下の潮流に乗り遅れてはなりませぬ。ここで時勢を見誤っては当家は間違いなく滅びます。すべては生き残るため! われらが生き残る道はこれしかありませぬ!

 官兵衛の熱弁は政職の心を大きく揺さぶった。しかし、優柔不断は政職の持ち味。政職はここで得意の「うーむ。ここが思案のしどろこじゃのう」と首をかしげるべきだったかもしれない。
 そうすれば、老臣や左京進から信長の仏罰を恐れない所業やその専横ぶりを非難する言葉が次から次へと飛び出して、またもや議論百出、大評定は混乱の渦に巻き込まれたかもしれない。

 しかし、政職は官兵衛の迫力におされて、めずらしく果断に事を決定した。
 「官兵衛のいうこと、相わかった。わしは官兵衛の意見をよしとする。当家は織田につくこととする!

 「殿! 殿!」家臣たちはざわついたが、官兵衛はそのざわつきを抑え込むようにいった。
 「されば、早急に、当家の意向を岐阜につたえなければなりませぬ。それがし、織田家の重臣につてがあります。それがしに岐阜いきをお命じくだされ

 「よし、行ってまいれ。小寺家の命運、官兵衛、そちに預けたぞ!
 「ははっ!

 面目丸つぶれの左京進は、官兵衛の横顔を睨みつけた。(おのれっ、官兵衛!

 左京進役の金子ノブアキが、官兵衛の敵役としてなかなかいい演技をしてるね。

櫛橋左京進


■ 評定のあとで


 「どうも狐につままれた気がする

 政職は、官兵衛の熱弁におもわず織田につくとはいったものの、振り返って考えてみると、はてそれで本当によかったのか、口のうまい官兵衛にまんまと乗せられたのではないかと不安になってきた。

 「官兵衛は賢い男。私は信じるに足りると心得ておりますが」お紺は答えた。

 今になって、政職から得意の言葉が出た。政職がこの言葉を口走るときは何も考えていない証拠である。
 
 「ここは思案のしどころじゃのう。…ま、いいか。いざとなれば、あやつめに責めをおわせればいい」

 そんな政職を、お紺は不安げに見つめている。


■ 有岡城にて

 官兵衛はさっそく、善助、太兵衛、九郎右衛門を伴い、荒木村重の居城、有岡城に向かった。
 道中、何者かに官兵衛たちは襲われた。
 「われわれの動きを快く思っていないものがいるようですな」襲撃者を追い払った後、九郎右衛門がそういい、官兵衛がうなずく。ひょっとすると左京進の仕業か。

 この場面は、前川洋一の脚本をノベライズした青木邦子の小説「NHK大河ドラマ軍師官兵衛一」(→コチラ)にはない。演出段階で付け加えられたのだろう。
 ノベライズ本を読んでいると、ときにこのように脚本にはなくて演出段階で付け加えられたり、逆に脚本にはあるのに、演出段階で削られたりしている場面が散見される。

 たとえば、脚本には、あるとき、井吹善右衛門が官兵衛に、息子の御師(おし)井吹文四郎を手足のように自由に使ってほしいという場面があるが、演出段階で削除されていた。
 で、いつの間にか文四郎が官兵衛の手足になって諸国の動向を官兵衛に伝える場面が、前回と今回のドラマで出てくるから、あれっ、どうなってんのと思った人もいるんではないか。そんな気がしないでもない。

 さて、今回の官兵衛たちが襲われる場面。官兵衛たちの動きを警戒しているものの存在を強調したかったのだろうが、私は蛇足だったと思うな。あなたはどう思いますか?

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 それはさておき、官兵衛たちは、信長に会えるよう取次ぎを依頼するために、有岡城の村重をたずねた。

 「さすが、官兵衛。むずかしかろうとおもっていたが、小寺が織田につくようまとめたか。さすがだ。信長さまへの取次ぎ、わしにまかせておけ
 村重は快諾した。
 村重の妻、だしがあいさつにきて「わが殿は信長様にすっかり魅了され、まるで信長様に恋焦がれる乙女のような有様。少々、妬いておりまする
 村重が目じりをさげて笑い、
 「官兵衛、おことなら大丈夫だとは思うが、ひとつだけ忠告しておく。信長様はむずかしいお方だ。くれぐれも粗相のないようにな。聞かれたことにはしかと答えよ。あいまいな答えはゆるされぬぞ
 「はい

 ネタバレになるが、この村重との会話はのちのちの伏線である。これから、ここまでに信長に傾倒していた村重が、その信長になぜ謀反をはたらくようになるのかが語られていくことになる。

■ 岐阜城にて

 ここは岐阜城大広間。柴田勝家、明智光秀、丹羽長秀、滝川一益、佐久間信盛といった織田の重臣が居並ぶ中、官兵衛は緊張の面持ちで信長の出座を待った。

 信長が入ってきて一言「おもてをあげよ
 「はっ

 さあ、いよいよである。以下、次回のお楽しみ。
 
 第7回の視聴率も15%台と低迷しているが、今回はなかなか面白かったと私は思う。ナレーションも変わったことだし、次回からの展開に期待しよう。

■ 番外

◇ おね登場

 ところで、今回は官兵衛の決断が主題だったが、やや番外編で、秀吉が大名になる場面と、官兵衛が又兵衛(後の後藤又兵衛)をもらってくる場面があったので、簡単に触れておこう。

 天正元年(1573年)9月、信長は4年近く続いた浅井・朝倉連合軍との戦いに勝利した。義昭を追放した槇島城の戦いからわずか2ヶ月後のことである。
 信長は重臣たちを集め、その労をねぎらうとともに、論功行賞を行った。
 「猿! おぬし、まだ大名に取り立ててもらえぬとぼやいているらしいな
 「め、めっそうもない。私は殿のおそばで働けるだけで幸せでございまする
 「猿、近うよれ。今回のはたらき、あっぱれであった。望みどおり大名にしてやる。北近江をそちにとらす
 「ま、まことでございますか。ありがたく幸せ
 満座の武将が息を呑み、勝家が憎まれ口を叩いた。
 「猿が大名か。古今東西の珍事じゃ
 「殿、古参の我らもおわすれなきよう」そういったのは佐久間信盛である。
 
 この佐久間信盛の言葉もこれからの伏線だね。さきに紹介した青木邦子のノベライス本には、この信盛の言葉は書かれていないから、演出段階で付け加えられたものとおもわれる。
 佐久間信盛は、織田家古参の武将のひとりだが、後、信長から、昔、信長にたてついたことがあるとか、たいしたはたらきもせず高禄をむさぼっているなどという難癖(19か条の折檻状)を送りつけられ、織田家を追放されるのである。

 ま、それはさておき、秀吉。
 「恐れながら、上様、お願いの儀がございまする。これを機に名前を改めとうございます
 「なんと名乗る?
 「はっ、織田家中の双璧、柴田勝家様、丹羽長秀様にあやかりたく、一字づつ頂戴し、羽柴秀吉と名乗りとうございます
 「権六と五郎左からのう。あいわかった。許す。今日からそちは羽柴筑前守秀吉じゃ。功名をたてた者に褒賞はおしまぬ。みなも励めよ
 信長の人身掌握術である。

 「おね! おね! 城持ち大名じゃ!わしは城持ち大名になったんじゃ 」
 秀吉は、屋敷に走りこんでくるなり、おねの名を呼んで言った。
 「ま、まことでございますか
 「こんなこと、戯言で申せるか。草履とりからとうとう大名まで上りつめたのじゃ
 「ま、なんだか夢のよう・・・
 秀吉が、ぼーっとしているおねのほっぺたをひっぱたいた。
 「痛っ!
 「な、夢ではなかろう。北近江じゃ、浅井領だった北近江がわしの新しい領地じゃ。小谷城じゃ
 「おまえさま。落ちた城は縁起が悪うございます。それより琵琶湖の見えるところに城を造ってはいかがですか。岐阜の城をお手本に新しい城と城下を、みなが集まる豊かな国をつくるのです
 「さすが、わがかかさまじゃ。そうとも、そうしようぞ
 そういって、秀吉はおねの頬にチュッチュするのであった。

 この秀吉とおねの場面。いいね。前述の青木邦子のノベライズ本と比較しながら見ていると、脚本にはなかったであろうアドリブのはいった秀吉とおねの会話がいきいきとしてるね。
 秀吉がおねの頬にチュッチュするのも、これも竹中直人のアドリブ。さすが、円熟の二人。息もぴったりあってる。

 おね役の黒木瞳さんは、おねを演じるにあたり、こうインタビューに答えている。

 「おねを演じるにあたり、オリジナリティーを出そうとは考えず、竹中直人さん演じる秀吉との化学反応を純粋に楽しもうとおもっています。アドリブでいろいろと仕掛けてくる方なので、その流れに乗っていきたいなと。演出陣も、私たちをある程度自由に演じさせたほうが面白いと思っていらっしゃるみたい(笑)。『竹中秀吉』はやんちゃでキュート。女好きなのがたまにきずで、おねが信長を味方につけてお灸をすえる場面などもあります。でも、怒っても怒っても、結局最後は笑ってゆるしてしまう。憎めないんですね (以下略)」

 おね、初登場。まさにインタビューにあるとおり、秀吉とのアドリブでその科学反応を楽しんでる風でしたよ。黒木さん。

one.jpg
            (おね 演:黒木ひとみ→コチラ
      
 あと、又兵衛の登場だが、これは明らかに蛇足。今回のドラマでは必要なかったと思う。で、冒頭のあらすじにその内容を少し書いたから、ここでは詳細は省略しよう。

                  第7回放送「決断のとき」-26.2.16ー(おわり)


 

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