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荒木村重④ - 軍師官兵衛-NHK大河ドラマ-プラットホーム

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荒木村重④

■ 白井河原の合戦

 村重①で村重の簡単な年譜を掲げましたが、村重は、1570年6月、それまでの主君であった池田勝正を追放し、続いて、1571年3月、摂津の守護で高槻城主の和田惟政を白井河原の合戦で攻め滅ぼします。

 私には、この白井河原と聞いたときに、何かピンとくるものがあって、ひょっとすると、その白河原というのは、私が毎日通勤で通っているあの場所のことではないかと思い付きました。というのも、何か、歴史的言い伝えの立て札を見た記憶があったからです。

 
 

摂津地図
        (当時の摂津国地図と城の位置)

 で、昨日、通勤途上に立ち寄ると、案の上、そこがまさに白井河原でした。何か嬉しかったですね。歴史が急に身近に思えました。
 500年近く前、この場所で池田を居城とする荒木軍が和田惟政と合戦に及んだのだと思いながら河川敷をみやると、何かそのときの情景が目に浮かんでくるようにさえ思えました。
 合戦跡地には、茨木市教育委員会の説明文が記念碑の横に建てられています。

250531白井河原②

250531白井河原①

 デジカメでは十分に文字が読めませんので、以下に碑文の内容を掲載しておきます。

■ 白井合戦跡地碑文

                      白井河原合戦跡

 この茨木川をはさんで付近一帯を「白井河原」といい、茨木、伊丹両氏と、池田氏とが歴史上の合戦をしたところです。
 茨木方を支持する和田伊賀守惟政と池田方の荒木摂津守村重、中川瀬兵衛ら池田21人衆との対立となり、元亀2年(1571年)8月、ついにこの白井河原で激突しました。
 このとき、和田勢500余騎、池田勢2500余騎が相対しましたが、和田軍はまだ戦列が整っていませんでした。そこで、部下の一人、高利平太夫(郡平太夫)が時間かせぎをしようとしましたが、その計略を見破られたため主君惟政に「多勢に無勢…」などと進言しました。しかし、惟政これを聞き入れず、後続軍の到着を待たずに200余騎の小数で突撃しましたが、このとき惟政は、池田方の武将、中川瀬兵衛に討ちとられました。主君を失った和田・茨木の朗等たちは「主を討たせてどうして生き残れようか」と切ってでて討ち死にしたので、「白井河原は名のみにして、唐紅いの流れとなる」ほど赤い血に染まったそうです。



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