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中川清秀② - 軍師官兵衛-NHK大河ドラマ-プラットホーム

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中川清秀②

■ 中川清秀の生誕地

 中川清秀は、中川清秀① に書いたように、摂津国福井村中河原(現:茨木市)に生まれました。ウィキペディアの「中川清秀」によると、中河原橋付近に中川清秀由緒地の石碑があるといい、写真も載っています。

中川清秀石碑
        
        (ウィキペディアに掲載されている中川清秀由緒地の石碑写真)

 歴史の地が身近にあるというのは大層嬉しいものです。中河原橋といえば、私が毎日職場に通うときに通る橋ではないですか!
 さっそく、通勤途上に中河原橋に立ち止まり、その石碑を探してみました。ところがどこにも見当たりません。随分探してみましたがダメでした。残念です。まあ、これからも時折、この周辺で石碑を探してみることにしましょう。下の写真は石碑の代わりに中河原橋をとったもの。

中河原

 また、中河原橋近くに、茨木市教育委員会の中河原歴史説明文が立っています。

中河原看板

  こうです。

  さまざまな人や物が行き交う福井・中河原

 江戸時代、大阪と丹波国亀山(現亀山市)を結ぶ鳥居嶺道(とりいみねみち)はここを通っていました。
 道は福井の集落をぬけ、真龍寺の西から山道になり、国見峠を越えると妙見道と合流し、大岩国見の北で再び分かれ、清坂峠を経て丹波に入りました。
 亀山には西国21番霊場穴太寺(あなおじ)があり、茨木の総持寺が22番、箕面の勝尾寺が23番の霊場ですから、この道は西国巡礼道でもありました。また、能勢妙見宮の参詣人も利用しましたので、さまざまな人々がここを通りました。
 明治25年(1892年)からの工事で、荷車の通れる道にするために、上福井から佐保川沿いを北上して余野(豊能町)に出る新道ができ、亀岡街道となりました。ほぼ同じ頃、上福井から清坂への道の付け替えもあり、これは清坂街道とよばれました。
 このように中河原橋付近は西国街道と亀岡街道が交差して、四方に向かう交通の要所だったのです。


■ 荒木村重と中川清秀

 中川清秀がよく知られるのは、村重が信長に釈明のために会いにいこうとするのを阻止したことによってです。明智光秀などの説得に応じて、村重が信長のところに自分に異心がないことを弁明しにいく途上、茨木城に立ち寄りますが、そこで、中川清秀らの反対にあい、村重は有岡城に引返すことになります。
 もともと、村重が信長に疑念の目を向けるようになったのは、中川清秀の部下が、石山本願寺に米を横流ししていたことにあったともいわれます。清秀にすれば、村重が安土にいって異心なきむねを釈明すれば、もし、それを信長が受け入れたならば、その火に粉は自分のほうに飛んでこないとも限らないと考えたのかもしれません。
 
 ここからはお遊びですが、中川清秀がどのようにして村重を思いとどまらせたのかについて、中川清秀自身の言葉で、私なりに再現してみようと思います。
 といっても、当時の文語文で書きあらわすことは私の力量の及ぶところではないので、ここは浪花のおっちゃん風に翻訳してみます。
 

 「なあ、村重はん。安土にいくんはやめさはれ。いったら、あの信長はんや、必ず殺されまっせ。おかんを人質に連れて行こういうことやけど、それはあかん。おかんまであの世の道連れにせなあかん。
 そりゃあ、こんなことになってしもた発端は、わての部下が石山本願寺の坊主に米を横流ししたことを誰かにちくられたからや。けど、本願寺への米の横流しをやってんのはわての部下だけやおまへん。正直、誰もがやってるこっちゃ。それをわざわざ咎めだてしよういうんは、ほかにわけあってのこっちゃ。村重はんも知ってまっしゃろ。あんたの出世をねたんで信長はんにあることないこと吹き込んでるやつのこと。そうだす、あの細川や。今度もあいつが何かよからぬことを信長はんに吹きこんだに違いあらへん。
 乱破(らっぱ、忍者)どもの報告では、信長はん、相当頭にきてて、あれだけ目をかけてやった村重が裏切るとは! 弁解にきたらすぐに捕らえて磔にしてまえ! いうて大層な剣幕やそうや。
 村重はんもあの信長はんの性格はよう知ってまっしゃろ。疑い深いことこの上ない。それに信長さんにいったん疑われたら、もうダメでっせ。そんな例は枚挙にいとまがおまへん。それでこれまで何人のえらいさんが殺されてきたことか。
 最近はまたひどうなってきてる。もう、天子さんも天子さんとはおもわんような振る舞いや。自分のことを神様やと思い始めてるいう噂もききまっせ。その信長はんが村重はんに疑いをもったんや。これはもうあかん。たのんまっさかい、安土にいくんは思いとどまってくんなはれ。
 それに村重はんも知ってのとおり、今やったらこの天下、どうなるやらわからん。西には毛利はんがいてる。石山本願寺のぼんさんは、これまた仏法を守るために命がけや。三木城に籠もってる別所長治はんも毛利からの援軍がきたら、城からうって出て、あの猿に一泡ふかせるやろ。
 こっちかて、高槻には高山右近はんがいてるし、後着城には小寺政職はんがいてる。尼崎城には、今、村重はんと一緒にきてる息子の村次はんが頑張ってるし、伊丹城、花隈城、三木城もこっちの手のうちや。摂津35万石すべて、村重はん、あんたの息のかかったもんで固めてますねんで。これで石山本願寺と毛利と手を結べば、信長など屁のかっぱや。
 村重はん、あんたもこれまで、いわば身ひとつから池田はん、和田はん、伊丹はんを滅ぼしてここまできたんやおまへんか。それだけの実力と運があんたにはあった。今度もきっと大丈夫でっせ。ここは一世一代の大勝負や。のるかそるかや。わてもあんたにかけます。わての部下らもそういうてるし、あんたの部下も思いは一緒のはずや。
 有岡城に籠城しまひょう。あの有岡城は日本一、難攻不落の城や。毛利はんや本願寺はんが援軍だしてくれるまで持ちこたえたら、即、反撃にでまひょ。ほんであのにっくき信長にかわるんや。できますて、ほかのもんには無理やけど、あんたにならできる。
 村重はん、やっとわかってくれましたか。ありがたい、そうこなくっちゃ。ありがたい。さっそく、石山本願寺やら毛利に早馬を出しまひょ。摂津のみんなにはわてから連絡をとりまっさ。村重はんはこれから有岡城に帰って戦の準備をしとくなはれ。大丈夫、勝ちますて、いや、信長にかってみせますて。これまでも一緒にがんばってきたんや。これからも一連托生、頑張ろうやおまへんか」



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