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第8回放送「秀吉という男」-26.2.23ー(その⑤) - 軍師官兵衛-NHK大河ドラマ-プラットホーム

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第8回放送「秀吉という男」-26.2.23ー(その⑤)

第8回放送「秀吉という男」-26.2.23ー(その④)から続く

■ 秀吉のこわいもの

 光成は前もって秀吉から言い含められていたらしく、用意万端整えて待っていたのである。

 秀吉が待ちきれないように一室に入ると、豪華な酒肴の山。秀吉の横に若い女が寄り添った。側室の南殿である。
 「おなごはええのう」秀吉は鼻の下をのばし、南殿に頬づりするなどしていちゃついている。
 善助がその様子をみながら、太兵衛に「この大将で本当に大丈夫だろうか」と問いかけると、太兵衛も不安な様子である。

 秀吉の目配せで光成が襖をあけると、3人の遊女たちがどっとなだれ込んできて、官兵衛たちにしなだれかかってきた。
 「遠慮はいらぬ。好きにいたせ
 「どうも、不調法にて・・・
 官兵衛は妻の光一筋なのである。主人がこうだから善助たちも、そうはめをはずすわけにもいかない。
 とまれ、宴席は進んで、秀吉は急に声をおとしていった。
 「よいか。わしらは今日まで岐阜におった。そういうことにしておくのじゃ。よいな。ゆめゆめ忘れるでないぞ
 「なにゆえ・・・
 その意味が官兵衛らにはわからない。
 「わしはみなが恐れる上様でさえ怖いと思うたことはない。しかし、この世で一人、こわいものがいる。かかさまじゃ」 

■ 長浜城にて  

 翌日、官兵衛たちは秀吉の案内で長浜城に入り、秀吉の正室、おねと対面した。
 お互いにあいさつを交わした後、おねは柔和な顔にけんを隠して秀吉にいった。
 「ところで、お前様。昨夜はどこにお泊まり遊ばしましたか?
 「ゆ、ゆうべは岐阜じゃ。わかっておろうが
 「岐阜? 城下でお前さまをお見かけしたという者がおるのです
 「それは人違いじゃろう
 「おとぼけなさいますな。おなごのところにいっていたのではありませぬか
 「そのようなことはない。のう、官兵衛殿
 「はあ…
 官兵衛が歯切れが悪くそう答えると、秀吉は
 「ほら、みろ、官兵衛もああいっているではないか
 おねの角が官兵衛に向いた。
 「そんなはずはありませぬ。官兵衛殿。わたしは嘘が嫌いです。改めて伺います。昨夜はどこにおられたのですか?
 「……どこにもおりませぬ
 「なんですか、その答えは
 「羽柴さまはこれからともに戦う大事なお方。そのお方様との約束はたがえるわけにはまいりませぬ。一方、お方様はその羽柴さまが最も大事にされているお方。その人に嘘をつくわけにもまいりませぬ。それゆえ、どこにもおらぬとお答えするしかありませぬ
 秀吉がたまりかねて口をはさんだ。
 「おね、もうよいではないか。官兵衛がかわいそうじゃ
 火に油である。
 「お前様がとぼけるからでございます。側室がいようといまいと、そのようなことはよいのです。嘘をついて、こそこそしているのが気にいえらないのです!
 秀吉は進退きわまった。
 
 その様子を、襖の陰からでもみていたのであろう、光成が入ってきていうには
 「殿、お方様へのお土産、そろえておきました
 襖をあけると、高価そうな反物がずらりと並んでいる。
 「お。そうであった。忘れておった。どうじゃ、おね。京や堺でもこれほどの品はととのえられぬぞ
 「物でごまかそうなどと…」
 そういいながらも、おねは誘惑にはかてず、反物を手にとって「まあ、なんとあでやかな
 
 光成の機転で、秀吉も官兵衛もほっとしていると、おねいわく
 「ときにお前様…」
 秀吉がぎょっとして「な、なんじゃ
 「小耳にはさみましたが、領民から運上金(租税)をお取りなさるとか?」
 「そのことか。城の普請や町づくりで何かと物入りじゃ。今まで銭かねをとらずにやっとったが、かなり家来も増えたことだし、そろそろ取ってもよかろう
 「なりませぬ。損して得とれ。この苦しいときに確かに銭はほしい。なれど、目先の金より先を見据えることこそ肝心。今は領民の心をつかむのです。さすれば、人が集まり国は豊かになり強くもなります
 秀吉は感心して
 「どうだ、官兵衛。わしの女房は天下一であろう。えっへん
 「はい、まさに」官兵衛も感心しきりである。

one.jpg
(おね 演:黒木瞳)

 場面を思い出しながら、ストーリーを書いていて、なんとなく、なんかマンガチックだなあ。

■ 側室のことを思う

 ところで、秀吉と官兵衛の側室のこと。
 秀吉は女好きで、何人もの側室がいたことは有名だ。しかし、子どもは晩年に2人もうけたが、一人は死に、残ったのは豊臣秀頼だけだった。
 
 私は思うのだが、秀吉には子種はなかったのではないか。淀君が産んだ二人の子も秀吉の子種ではなかったのではないか。そんな気がする。
 では誰の子? 光成である。こういう想像はもマンガチックだといえるかも知れないが、そんなことを思っている。その根拠はいつか小説の形で書いてみるつもりだ。
 
 官兵衛は光一筋で側室をもたなかったとされる。これも眉唾である。官兵衛は側室をもっていたとする小説本もある(→コチラ
 戦国時代にあって、側室をもつかどうかの好悪を、現在の倫理観念ではかるわけにはいかない。武将たちにとって子孫を残し家系を絶やさないということは、倫理をこえた絶対条件だった。
 
 官兵衛の祖父がいい、職隆がいい、そして官兵衛も物事を考える際の指針とした「すべてが生き残るため」の前提条件に、子孫を残すということがあった。
 まして当時は乳幼児の死亡率は高かった。こども一人では不安でしかたがなかったろう。
 官兵衛は清廉な武将であったと思いたいがために、官兵衛は光一人を生涯愛し続けたのだと考える向きがありはしないか。
 
 長政とは10歳以上離れて弟、熊之助が誕生しているが、この子どもは本当に光の子だったのだろうか。
 熊之助は朝鮮の役のとき、単身、朝鮮に渡ろうとして時化にあい、遭難して死亡したから、あまり人の口の端にのぼることはないが、その熊之助は側室の子だった可能性はないだろうか。
 
 官兵衛に側室がいたという確かな証拠がない以上、官兵衛は側室をもたなかったのだと結論づけるしか、今のところないけれど、高山右近のような例外を除けば、当時の武将の感覚からすると、官兵衛が側室をもたなかったというのは、きわめて不自然な気がするんだがなあ、わたしは。

     第8回放送「秀吉という男」-26.2.23ー(その⑥)に続く

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