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第8回放送「秀吉という男」-26.2.23ー(まとめ) - 軍師官兵衛-NHK大河ドラマ-プラットホーム

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第8回放送「秀吉という男」-26.2.23ー(まとめ)

 
(プロローグ) 

 ちょうど、今、ドラマ黒田官兵衛「第8回 秀吉という男」が終わった。
 目の前には、発泡酒「喉ごしの生」350リットル2缶と麦焼酎「いいちこ」200ミリリットルが転がっている。

 嫁さんとドンパチをやらかして、インターネットカフェに逃げ込み、酒を飲みながら、一人、官兵衛を観たあと、頭のさめやらぬ間にと、パソコンにこうして向かい合っている次第である、
 それにしても、このインターネットカフェのキーボードは固い。もう少し、ましなパソコン入れろよ、頼んます。 

 それはさておき、今日の軍師官兵衛である。詳しくはしらふになって明日から書くつもりだが、面白かった。
 なぜ、NHK軍師官兵衛の視聴率がこんなに低いのか、私はわからない。こういうドラマは、もう若い層には受けないのだろうか。

 私は、NHK出版が出している前川洋一の脚本をノベライスした小説本を事前に読んで、それからドラマを見るので、ノベライズ本にはない演出があると、「あ、これって、脚本にはなかったぞ」などと、ついその画面が記憶に残る。

 今日のドラマでノブライズ本になかったシーンは、光が長刀(なぎなた)で又兵衛をやっつけるシーン。けど、このシーンはなかなかよかった。又兵衛役の子役の演技もよかったよ。
 
 まてよ。ひょっとしてノベライス本にもあったのかな? 家に帰って本を読みなおすわけにはいかないから、まあ、いいか。

 もう一つ。宴席が終わって、秀吉が官兵衛と酒を酌み交わすシーンの食べ物。秀吉が「苦い、苦い」といいながら、何かつくだ煮にようなものを食べていた。
 
 秀吉は手づかみだが、官兵衛は秀吉に促されて箸で食べていた。「うーん、これは苦うござるな」。
 
 秀吉がいう。昔、貧乏で、針売りなどしていたことを忘れないために、ときどきこうしてたべているのだと。そして、その食べ物の名前を口にする。
 なんと「ムカデ」。 ムカデの佃煮である。 

 これは間違いなく、ノベライス本にはなかったぞ。
 ムカデの佃煮。はたして本当にそんなものが戦国時代にあったのだろうか? 
 そして、それはどんな味がしたのだろうか。
 なんとも興味をそそられる。
 いや、食べてみたいのではない。私はこの世の中でムカデとげじげじほど嫌いなものはないのである。だから形が、そこはかとなく似ている「しゃこ」も、私はたべられない。
 いやはや、なんとも、ムカデ!!

 kmukade.jpg
  ムカデっ!! ゲッ!! ウィキぺディアから画像を拝借 

 皆さんは、映画「パピヨン」をご存じだろうか。私の大好きな映画である。
 スティーブマックウィン演じる主人公が、脱獄不可能といわれた、大西洋に浮かぶ孤島、フランス領の監獄から脱出する物語である。
 脱出になんども失敗した主人公「パピヨン」は独房にいれられる。日もささない独房である。食事も1日に粥一杯だけ。
 そこで、パピヨンは生き残るために、ムカデやアブラムシを食うのである。あの情景を思い出しちまったよ。おえっ!

 政職は、今日も、相変わらず「ここは思案のしどころじゃのいう」といっていたね。この言葉を政職が口にするときは、決まって、ほとんど何も考えていないときでんな。

 それから秀吉が、「心配、ご無用」といってたで。これもノベライス本にはないもの。竹中直人のアドリブでんな。
 NHK大河ドラマ「秀吉」で、竹中直人がこの言葉を連発して流行語になったことを知ってる人は、かなりの大河ドラマファンといえると思うよ。

 もう少し、記憶がホットな間にあれこれ書きたいけど、いいちこがおれの脳髄をとろかせだしたよ。書くのがじゃんくさいなってきたい。
 今日は、このまま、インターネットカフェに泊まろうかな。

 そういえば、ドラマ「黒田官兵衛」を見る前に、ネットカフェで映画を見たのだが、その映画は、津川雅彦が監督した、中島らもの「寝ずの番」。
 小説は読んでいたので、いつか映画も見たいとは思っていたのです。 

 この「寝ずの番」に高岡早記が出てきますな。
 妖艶な30代の美女。
 お下劣で申し訳ないが、もう、なんとも広いこと、広いこと。
 何がって? あそこでんがな、あそこ。
 フィストがどっぷり入ってしまうんだ、これが。
 いや、すみません。酔ってるもんで。
 小寺政職の妻、お紺の、チト、とりすました風情をみてて、つい映画のその場面を思い出しちゃったい。こんなこと書いて、早紀ちゃん、ごめんなさい



(今回の軍師官兵衛)

■ 信長との会見


 官兵衛を先導する、信長の近習、万見仙千代が、岐阜城の廊下を歩きながらいった。
 「上様はお気が短く、まわりくどい返答を嫌います。要を得た答えをなさいますように
 
 主殿に入ると、柴田勝家、明智光秀、丹羽長秀、滝川一益、佐久間信盛ら織田家の重臣が居並んでいる。官兵衛が緊張した面持ちでまっていると、信長が入ってきた。

 「おもてをあげよ
 
 「は、はっ

 信長との体面である。


 「村重からの書状は読んだ。用向きを申せ
 
 「はっ、織田様、既に東海、北国、畿内の大半を制し、天下統一に向け着々と歩みを進めておられますが、いまだに従わざるものあり、その最たるものが中国の毛利とお見受けいたします。主、小寺政職は織田様にお味方つかまつる所存。なにとぞしかるべき大将のもと、軍勢を播磨におつかわしください。その折は、われら小寺が喜んで先手を務めまする
 
 重臣筆頭の柴田勝家がいう。
 「毛利はまだ敵となったわけではない。今、重きをおくべきは中国ではなく北国じゃ。越前の一向一揆もあれば上杉謙信への備えもいる
 
 官兵衛は答えた。「瓶割り柴田の異名をもつ柴田勝家殿とお見受けいたす。仰せ一理あれど、一向一揆の本山、石山本願寺は毛利とつながっております。播磨は中国から石山本願寺への道筋。ここを制すれば両者のつながりを断つことができまする。毛利はかならずや織田の敵となりましょう。毛利を倒さねば織田家の天下布武はかないませぬ

 滝川一益が口を開いた。
 「して、官兵衛殿。兵はいかほどお持ちか
 
 官兵衛は素直に答えた。
 「500でございます

 重臣に失笑が漏れ、「なるほど、それは少なくてお困りであろう。上様になきつくわけだ」と皮肉ったのは、丹羽長秀である。
 
 官兵衛、わるびれず、「柴田様と並ぶ織田家の双璧、丹羽長秀殿とお見受けいたす。かって織田様は、わずかの軍勢で、あの今川義元の大軍を破ったではございませぬか。戦の勝敗は兵の多い少ないにあらず

 これまで黙って聞いていた明智光秀が、信長に向かって口を開いた。
 「それがしは官兵衛の申されるとおり、今すぐ、中国攻めにかかるべきと存じます。このまま放っておいては毛利はますます大きくなり、手遅れになりかねませぬ
 
 光秀は、当時、丹波、但馬の攻略に意を注ぎ始めていたから、もし、信長が毛利を攻めるとなれば、その任は自分に下るだろうとの読みもある。

 官兵衛は、すっくと立ち上がると、重臣たちの視線もかまわず、ずいっと前のほうに進み立て、播磨の地図を広げた。

 「毛利を攻めるには、山陰、山陽、二つの道がございます。大軍を動かすには平坦な山陽道が向いており、その山陽道に御着、姫路がございます。ここは播磨のほぼ中心。海も近く、中国を抑える格好の地。主、政職はこの姫路を中国攻めの足がかりとされるよう申しております。
 現下の播磨の形勢は、三木城の別所氏と小寺家は織田家に恭順の意を示しておりますが、明石、高砂、福原、上月など播磨の大方の大小名は、今は毛利についておりまする。されど、それは毛利の威勢をはばかってのもの。決して結束はつよくはありませぬ。
 よき大将をおつかわしくだされば、みな、織田家の味方となりましょう。きっと、この私めが播磨一国を必ずや説き伏せてご覧にいれまする。播磨を手に入れさえすれば、毛利を倒すことなどいとたやすくこと


 官兵衛の計略にじっと耳を傾けていた信長が、何もいわずにかたわらの刀を手に、官兵衛の前につかつかと歩いてきて、その刀を抜きかけた。
 満座、息を呑み、官兵衛もここで切られるのかと冷や汗たらたら。

 信長は、刀を鞘にしまい、官兵衛に差し出して、曰く「そちにとらせる

 「は、はっ!」官兵衛はその刀、圧切長谷部(へしきりはせべ)をおしいただいた。

 官兵衛の主張が、信長の意に沿ったのである。

■ 秀吉登場

 そこに、ばたばたと足音がして、あわただしく秀吉が入ってきた。

 「遅いぞ、猿!

 信長が一喝した。

 「申し訳もありませぬ。瀬田の唐橋の普請をみてまいりました。今年中に、いや、3ヶ月以内には仕上げてみせまする

 そう信長に答えた顔を、今度は官兵衛に向けて

 「貴殿が黒田官兵衛どのか。荒木村重殿から聞いておる。それがし、羽柴筑前守秀吉でござる。播磨の小寺家がわれらにお味方いただけるとは心強い限り。上様、毛利攻めの要となりましょう。ありがたや!

 そんな調子のいい秀吉に信長はいった。
 「猿、そちが播磨にいけ

 そして、官兵衛のほうを向き
 「官兵衛、そちの申すとおり、播磨を手に入れなければ毛利を倒すことはできぬ。毛利を倒さねば天下布武はかなわぬ。播磨攻略には内情に詳しいものの導きがいる。この秀吉とよろしく相談せよ。そちの申したことはこの信長の考えと同じだ。面白かったぞ
 
 官兵衛、面目躍如である。

■ 圧切長谷部

 ところで、信長から官兵衛が拝領した、圧切長谷部(へしきりはせべ)。国宝である。長谷部国重作。福岡市博物館所蔵。
 黒田家の公式文書「黒田家譜」には、官兵衛が信長に謁見して下賜されたとあるが、「名物三作」には、秀吉から黒田長政が受け取ったとも書かれているという。
 まあ、真偽のほどはよくわかっていないのである。
 
 あるとき、信長に無礼を働いた茶坊主が、棚の下に逃げ隠れたので、信長がこの刀を茶坊主の胴に差し入れて切ろうとしたところ、わずかに力を入れただけで、茶坊主の胴を真っ二つに圧(お)し切ってしまったことから、「圧切」となずけられたといわれている。

 名刀中の名刀である。

圧切長谷部
  (圧切長谷部 イメージ)




■ 岐阜城下の露天にて

 官兵衛が、控えの間でやきもきしてまっていた善助たちに、事の首尾を伝えて喜び合い、一息いれたところに、秀吉がやってきた。
 岐阜の城下を案内してやるという。
 
 見物を終えて露天に入っても、官兵衛たちは飽きもせず、岐阜の町並みや賑わいを眺めた。
 「にぎやかな城下でございますな。うわさには聞いておりましたがこれほどとは…
 「今や岐阜は日の本一の町だ。楽市楽座、関所をなくし道を広げ整えた。人が人を呼びこの賑わいをもたらしたんじゃ。ところで、官兵衛。おぬし、上様から圧切をいただいたそうだな。見せてくれぬか
 
 秀吉が鞘を払うと、刀身が見事な輝きを放っている。
 「おーっ、うわさにたがわぬ名刀じゃ
 そういって、秀吉は官兵衛に、この刀に圧切という名前がついた由来を話し始めた(圧切の由来→コチラ)。

 「圧切をいただくとは、上様に気にいられた証拠じゃ。しかし慌てたぞ。おことが茶坊主のように真っ二つにきられるのではないかとな
 「ご覧になっておられたのですか」と官兵衛。


 秀吉は、事前に毛利攻めのことを聞いていたので、わざと遅れて信長の前に出たのだという。
 「というのもな。織田家は門地、門閥を問わずというが、重臣の中には柴田勝家のような頭の固い男がおって、百姓出のわしを毛嫌いするんじゃ。もし、最初から上様の拝謁の場にわしがいて、おぬしの肩をもったら、それだけで重臣連中は官兵衛の計略に異を唱えるに相違ない。そう思って、遅れていったのよ

 「されば、秀吉様はご自身が毛利攻めに大将に任じられるよう、一芝居うったのでござるか
 「まあ、そううわけだ。あまり大きな声ではいえぬが、わしには上様の心が読めるのだ。ここを押せばこうなるというツボを心得ておる
 
 秀吉は愉快そうに笑った。官兵衛は感心するばかりだ。

 「そうじゃ、官兵衛殿。今からわしの城にこぬか。わしはな、琵琶湖に面した今浜の地に、新しい城、長浜城を築いておる

 生返事をする官兵衛にかまわず、秀吉はさっさと長浜行きを決めてしまった。

■ 官兵衛という道具

 一方、信長。
 謁見が終わって、お濃を相手にぶどう酒を飲んでいる。白ではない。赤である。
 お濃が聞いた。
 「毛利いきは明智光秀殿と決めておられたのではなかったのですか?
 「こたびは道具の手入れをしたのよ。長篠の戦がおわって、みながたるんである。人こそ一番の道具。毛利攻めを秀吉に任せたことでみなの目の色が変わった。光秀があのあと、丹波を攻めたいというてきおった。わかるか。あやつら、百姓出の秀吉が手柄を独り占めにすることが我慢ならんのだ
 「あの播磨者も道具でございますか?
 「官兵衛か。よい道具を見つけた。猿とウマがあえば、存外、面白い仕事をするかもしれぬ
 お濃に返す言葉はない。

■ 一方、御着では

 職隆のところに、官兵衛からの事の首尾を伝える文が届き、職隆はその文をもって御着の政職のもとを訪れた。

 「我がせがれながら、こたびは難しいお役目をよく果たしたものでございます
 「この文には小寺が毛利攻めの先鋒になると書いてあるが、わしはそのようにいうた覚えはないがのう・・・
 早、心変わりしている政職がそこにいた。
 「まあ、この乱世、織田といえども明日はどうなるか。わかったものではないわ。毛利なら本領安堵。御着はこのままでよいと申しておるそうだ。そうであろう、のう、左京進
 「はい」と陪席している左京進が答えた。毛利の使僧、安国寺恵瓊の調略の手がここにも伸びてきているのだ。
 職隆は、政職ににじりよっていった。
 「殿、評定でお決めになったことを今になって覆すは家臣に示しがつきませね。当家の信用にもかかわりますぞ
 「信用を守るために小寺家が滅んではなにもなるまい。すべては生き残るため。れは官兵衛がいった言葉じゃ。織田について果たして生き残れるのか。ここは思案のしどころじゃのう
 職隆はあきれてものもいえない。政職が「思案のしどころ」という言葉を発するときは何も考えていないときである。
 それにしても、当初より政職の赤鼻。よけい赤くなったと思いません、みなさん(赤鼻のこと→コチラ)。

■ 光とお紺

 これはやばい。このままにしておけば小寺家は毛利につきかねない。さすれば、官兵衛は梯子をはずされて裏切り者になってしまいかねぬ。どうもこれは裏で糸を引いている者がありそうだ…。
 よくよく考えた末、職隆は光に相談をもちかけることにした。

 職隆が姫路城にいくと、庭で長刀を構えた光と又兵衛が試合をしていた。
 「長政や女とは勝負になりませぬ」そういう又兵衛をこらしめようというのである。
 「遠慮なくかかってきなさい」光が長刀を構える。
 又兵衛がうちかかる。これを軽くいなして、2合、3合やりあったのち、光の長刀が又兵衛の頭をとらえた。面あり1本である。
 「戦場なら、そなたは死んでおりますよ。女とて油断は禁物」そう又兵衛を諭す光であった。


 部屋に入り、職隆はいった。
どうも殿の様子がおかしい。誰かが裏で殿をつきつけているようなのだ。このままでは官兵衛の立場があやうくなる
 
 光がハッとなって「もしや、兄上が…
 「うむ、おそらくは…
 「もし毛利につくようなことあらば、織田をたばかったことになりかねませぬ。そうなれば殿は…
 「さよう。ただではすまぬ。下手をすれば、この黒田家、滅びるやもしれぬ。わしに策がある。殿の急所をつくのじゃ。光、一肌脱いではくれぬか
 (なにをすれば)
 不安を隠しきれない光であった。

 数日後、光は御着の城に、ご機嫌伺いのため、お紺を訪ねた。
 お紺のかたわらでは、嫡男の斎(いつき)が物静かに本を読んでいる。
 「松寿丸は元気がありあまって困っております」光がいった。
 「武家のおのこは少々わんぱくなほうがよい。羨ましいのう。斎は体が弱うてのう。先行きどうなることやら…
 「ご案じなさいますな。いずれ。きっと松寿丸が若様を盛りたてていきましょう
 光はそういった後、声をおとして「けれども悪いうわさを耳にしました。織田の敵になったら、女子どもも容赦なくみなごろしにされるとか。比叡山焼き討ちや長島の一向一揆がまさにそうでした
 「あれはひどい話じゃ
 「されど、味方になれば扱いは格段に違います。手柄を立てれば恩賞は思いのまま。そして、何よりも、織田が天下をとるに相違ありませぬ 」

 そうである、職隆が光に一肌脱いでくれといったのはこのことだったのだ。政職はお紺に弱い。搦め手から攻めようとしたのである。

 「そうじゃ、そのために織田につくことに決めたではないか」とお紺。
 それが、といいにくそうに光はいった。
 「それが、殿は気が変られたのか、今になって毛利につくと仰せのようで。このままでは、殿が道をあやまると舅殿も案じております。お方様、なにとぞ、殿にお口添えいただけませぬか。子どもたちの行く末もかかっております
 「まったく、殿には困ったものです。何のための大評定だったのか。わかった。殿にはわたしからもきつういっておく

 何日かして、政職は城の一室に左京進を呼んだ。
 「左京進。わしは決めた。やはり先の大評定の決定通り、わしは織田方につく
 「な、なにゆえにございますか?
 「それが生き残る道と考えたからじゃ
 「それでは話が…
 左京進が再度説得しようとすると、「わしはもう決めたのじゃ。そちのいうことなどきかぬ
 政職は、そう憤慨して席をたった。

■ 政職という武将
 
 ところで、この政職。このように誰かに何かをいわれると、あっちふらふら、こっちふらふら、優柔不断、ここに極まれりといった感じである。
 本当に政職はこのような惰弱で優柔不断な武将だったのだろうか?
 これにはやや疑問が残る。このドラマ軍師官兵衛では、左京進とこの政職が、終始、官兵衛の敵役的立場にある。
 ネタバレになってしまうが、荒木村重が有岡城に籠城した折、これに同調しようとする政職を説得にきた官兵衛に、政職は「村重を翻意させることができれば織田方につく」といいながら、一方裏で村重に「官兵衛がそちらにいけば殺してくれ」と頼むのである。
 つまりは、このように政職や左京進の、いわば優柔不断ぶり、軟弱ぶり、悪逆ぶりを特に強調することによって、官兵衛との対比を際立たせ、物語を面白くみせようという演出なのだ。
 あの半沢直樹における悪徳専務のようにね。

 それはひとつのドラマ構成の手法に違いないから、とやかくいうつもりはないが、素の政職はこのような武将とはかけ離れていたのではないかと思える。
 というのも、戦国時代、播磨は西に赤松家・浦上家、東に別所家と対立し、お互いにことあらばと領土を奪い合い狙いあっていたのだが、その中にあって、小寺家は着実に領土を増やしているのである。これは政職が凡庸な武将ではなかった証左といっていい。
 しかも、外様ではあるが、黒田家のような有能な家来を厚遇した。門地、門閥を重視する室町的旧弊さが蔓延していた播磨にあって、このような登用は、なまなかな武将にできることではない。政職には、人を見る目もあったに違いない。 
 決して図抜けた武将とはいえなかっただろうが、このドラマ軍師官兵衛にみられるように、政職は惰弱で軟弱、優柔不断極まる領主というわけではなかったと私は思う。

小寺政職(小) 

■ 一方、岐阜では

 話は少しさかのぼる。信長に拝謁した官兵衛は、秀吉に誘われて長浜の城下に入った。
 長浜は1年前までは荒れ果てた土地だったが、今は城が築かれ、城下のあちこちで普請工事がおこなわれて、たいそうな賑わいである。
 
 「にぎやかであろう。信長様にならって、ここも楽市、楽座じゃ。町を豊かにすることこそ最大の守りになる。もっとも、これは信長様の受け売りじゃがな。いずれは岐阜にも劣らない大きな町にしてみせるぞ
 秀吉の意気込みが官兵衛にもひしひしと伝わってくる。
 秀吉がみなに親しげに声をかけていると、急に周囲が騒がしくなり、数人の役人が盗人を捕らえて引っ立ててきた。
 「にぎやかになるのはよいがこういう手合いも増えての、困ったもんじゃ」そう秀吉がいうと、「見せしめに首をはねまする」と役人が息巻いた。
 「わかった。そうせい
 そこに官兵衛が割って入った。
 「秀吉様、それはもったいのうございます。みれば年も若く体も丈夫そうではありませぬか。罰として昼間は働かせ、夜は牢にいれればよろしいのでは。人間、生きていれば使い道があるというもの。命の使い道でございます
 「面白いことを申すな。命の使い道か。よし、そういたそう

 そのまま、秀吉と長浜城にいくかと思いきや、秀吉は官兵衛たちを城下のとある屋敷に連れて入った。
 「城に帰るのはあしたじゃ。今日は思い存分楽しもうぞ
 秀吉はうれしそうにそういい、戸口に迎えた若者を官兵衛に紹介した。石田光成である。
 「石田光成でございます。お見知りおきを
 「黒田官兵衛でござる


■ 石田光成登場

 官兵衛と光成の始めての出会いである。ここで少し、官兵衛と光成の関係をみておこう。
 
 ご存知のとおり、秀吉が天下を取る前後から、光成は秀吉の懐刀として重用されていく。
 定義にもよるが、光成は軍師ではない。典型的な内務官僚である。
 官兵衛は光成のその方面での力量は認めていたようだが、いくさ人としてはあまり評価していなかったようだ。それに両者の肌合いはよくなかった。  
 
 朝鮮の役での逸話が有名である。
 朝鮮の役で、戦がこう着状態に陥ったときのこと。戦線があまりはかばかしくないことに業を煮やした秀吉が「晋州城(チンジュソン」を落とせ」と、現地の軍奉行をつとめる石田光成らに命じた。
 しかし、晋州城は難攻不落の城である。
 光成らは秀吉に伺いをたてた。
 秀吉の答えはこうである。「そちらには如水がいるではないか。かの者の知恵を借りよ
 石田光成らが如水を訪ねると、ちょうど浅野長政と碁を打っている最中だった。
 「かまわぬ。待たせておけい
 官兵衛はそのまま碁を打ち続け、1時間後に対面所におもむくと、光成らは怒って帰ってしまったあとだった。
 「わずか半刻(1時間)も待てぬとは何と器量のちいさい男よのう
 しかし、このことは光成からつぶさに秀吉に報告され、官兵衛は秀吉の逆鱗に触れることになる。
 後に秀吉の許すところとはなったが、官兵衛はこのとき、切腹をも覚悟し、長政に遺書を書いている。

 火坂雅志「軍師の門」(→コチラ)には、こういうくだりがある。引用しよう。
 

 島津攻めのときのこと。
 官兵衛は吉兵衛(長政)に、栗山四郎右衛門、母里太兵衛、後藤又兵衛ら、老巧の士をつけ、「よいか。いくさになったら、駆け引きはおのれの判断でしてはならぬ。必ず、栗山らのいうことを聞け。みだりに深入りするな」と釘をさした。
 長政は、栗山ら屈強の士30余名と、足軽7、80人をひきい、高城川を渡って財部城に近づいた。すると、敵の伏兵500余が鬨の声を上げて襲ってきた。
 敵を蹴散らそうと。血気にはやる長政に、
 「退却しましょう。川の向こうへとって返し、水際で迎撃するのです
 栗山四郎右衛門が進言した。
 長政は唇を噛んだが、父に釘をさされていたため、やむなくこれにしたがった。官兵衛は、この息子の動きを、石田光成とともに丘の上から望見していた。
 「吉兵衛どのは、若いのによく逃げられまするな
 と光成が笑った。
 「治部殿には、吉兵衛が逃げるとみえますかな
 「あれを逃げといわずして何といいまするか
 「されば、とくとご覧になるがよろしかろう
 官兵衛は表情を変えずにいった。
 逃げる黒田勢を追って、島津勢が川に入った。
 敵の先頭が川を渡りきったとき、黒田勢は突如、方向を転じた。馬上で刀を振りかざす長政を先頭に、島津勢めがけて襲いかかっていく。
 流れに足をとられて動きがつかない島津勢は。なすすべもなく敗走した。
 官兵衛は光成にいった。
 「さきほどの退却は、敵を恐れて逃げたのではござらぬ。おびき寄せて一気に叩くための策なり。治部どのもしんがりをつとめるときの手本になさるがよろしかろう
 みずからの才を恃む光成も赤面し、さすがに返す言葉がなかった。
 (しょせん、この男はいくさ人ではない・・・)
 と、官兵衛は思った。
 いくさ人とは、実践の場で腹が据わっていなければならない。しかるに、光成は目先の現象に心をとらわれ、大局をみていなかった。
 (これが、この才子の限界であろう・・・)
 官兵衛は光成の人物を見切った。


 ネタバレになるが、ドラマ軍師官兵衛で、秀吉が毛利攻めの拠点を書写山に定めたとき、書写山に陣を張ることについて裏方で采配を振るったのは光成で、その采配に官兵衛が感心する場面がでてくる。その場面は既に収録済みらしい。
 ドラマの中でも、官兵衛は、一定、光成の実力を認める描きかたがされるのだろう。

 石田光成を演じるのは田中圭。1984年7月10日生まれの29歳。 大河ドラマ初出演である。
 あるインタビュー記事で、石田光成を演じるにあたってこんなことをいっている。

 (前略)
 ただ、実際に光成に会った人は、現在いないわけですから、光成としても正解も不正解もないと思うんです。そんな中、秀吉を竹中直人さんが演じてくださっているのは心強いですね。以前からお世話になっている竹中さんが、愛情あふれる秀吉を演じられていて、光成としても奉公のしがいを感じています。官兵衛役の岡田君とも、以前共演してから仲良くさせていただいています。監督と相談しながら、共演者の方といろいろ意見を出し合って、自分なりの光成像をおみせしたいですね。


 まあ、誠実なコメントですな。そういえば、田中圭は図書館戦争で岡田准一と共演してたね。映画そのものはあまりおもしろくなかったけど。

田中圭

tanaka.jpg 


■ 秀吉のこわいもの

 光成は前もって秀吉から言い含められていたらしく、用意万端整えて待っていたのである。

 秀吉が待ちきれないように一室に入ると、豪華な酒肴の山。秀吉の横に若い女が寄り添った。側室の南殿である。
 「おなごはええのう」秀吉は鼻の下をのばし、南殿に頬づりするなどしていちゃついている。
 善助がその様子をみながら、太兵衛に「この大将で本当に大丈夫だろうか」と問いかけると、太兵衛も不安な様子である。

 秀吉の目配せで光成が襖をあけると、3人の遊女たちがどっとなだれ込んできて、官兵衛たちにしなだれかかってきた。
 「遠慮はいらぬ。好きにいたせ
 「どうも、不調法にて・・・
 官兵衛は妻の光一筋なのである。主人がこうだから善助たちも、そうはめをはずすわけにもいかない。
 とまれ、宴席は進んで、秀吉は急に声をおとしていった。
 「よいか。わしらは今日まで岐阜におった。そういうことにしておくのじゃ。よいな。ゆめゆめ忘れるでないぞ
 「なにゆえ・・・
 その意味が官兵衛らにはわからない。
 「わしはみなが恐れる上様でさえ怖いと思うたことはない。しかし、この世で一人、こわいものがいる。かかさまじゃ
 

■ 長浜城にて  

 翌日、官兵衛たちは秀吉の案内で長浜城に入り、秀吉の正室、おねと対面した。
 お互いにあいさつを交わした後、おねは柔和な顔にけんを隠して秀吉にいった。
 「ところで、お前様。昨夜はどこにお泊まり遊ばしましたか?
 「ゆ、ゆうべは岐阜じゃ。わかっておろうが
 「岐阜? 城下でお前さまをお見かけしたという者がおるのです
 「それは人違いじゃろう
 「おとぼけなさいますな。おなごのところにいっていたのではありませぬか
 「そのようなことはない。のう、官兵衛殿
 「はあ…
 官兵衛が歯切れが悪くそう答えると、秀吉は
 「ほら、みろ、官兵衛もああいっているではないか
 おねの角が官兵衛に向いた。
 「そんなはずはありませぬ。官兵衛殿。わたしは嘘が嫌いです。改めて伺います。昨夜はどこにおられたのですか?
 「……どこにもおりませぬ
 「なんですか、その答えは
 「羽柴さまはこれからともに戦う大事なお方。そのお方様との約束はたがえるわけにはまいりませぬ。一方、お方様はその羽柴さまが最も大事にされているお方。その人に嘘をつくわけにもまいりませぬ。それゆえ、どこにもおらぬとお答えするしかありませぬ
 秀吉がたまりかねて口をはさんだ。
 「おね、もうよいではないか。官兵衛がかわいそうじゃ
 火に油である。
 「お前様がとぼけるからでございます。側室がいようといまいと、そのようなことはよいのです。嘘をついて、こそこそしているのが気にいえらないのです!
 秀吉は進退きわまった。
 
 その様子を、襖の陰からでもみていたのであろう、光成が入ってきていうには
 「殿、お方様へのお土産、そろえておきました
 襖をあけると、高価そうな反物がずらりと並んでいる。
 「お。そうであった。忘れておった。どうじゃ、おね。京や堺でもこれほどの品はととのえられぬぞ
 「物でごまかそうなどと…」
 そういいながらも、おねは誘惑にはかてず、反物を手にとって「まあ、なんとあでやかな
 
 光成の機転で、秀吉も官兵衛もほっとしていると、おねいわく
 「ときにお前様…」
 秀吉がぎょっとして「な、なんじゃ
 「小耳にはさみましたが、領民から運上金(租税)をお取りなさるとか?」
 「そのことか。城の普請や町づくりで何かと物入りじゃ。今まで銭かねをとらずにやっとったが、かなり家来も増えたことだし、そろそろ取ってもよかろう
 「なりませぬ。損して得とれ。この苦しいときに確かに銭はほしい。なれど、目先の金より先を見据えることこそ肝心。今は領民の心をつかむのです。さすれば、人が集まり国は豊かになり強くもなります
 秀吉は感心して
 「どうだ、官兵衛。わしの女房は天下一であろう。えっへん
 「はい、まさに」官兵衛も感心しきりである。

one.jpg
(おね 演:黒木瞳)

 場面を思い出しながら、ストーリーを書いていて、なんとなく、なんかマンガチックだなあ。

■ 側室のことを思う 

ところで、秀吉と官兵衛の側室のこと。
 秀吉は女好きで、何人もの側室がいたことは有名だ。しかし、子どもは晩年に2人もうけたが、一人は死に、残ったのは豊臣秀頼だけだった。
 
 私は思うのだが、秀吉には子種はなかったのではないか。淀君が産んだ二人の子も秀吉の子種ではなかったのではないか。そんな気がする。
 では誰の子? 光成である。こういう想像はもマンガチックだといえるかも知れないが、そんなことを思っている。その根拠はいつか小説の形で書いてみるつもりだ。
 
 官兵衛は光一筋で側室をもたなかったとされる。これも眉唾である。官兵衛は側室をもっていたとする小説本もある(→コチラ
 戦国時代にあって、側室をもつかどうかの好悪を、現在の倫理観念ではかるわけにはいかない。武将たちにとって子孫を残し家系を絶やさないということは、倫理をこえた絶対条件だった。
 
 官兵衛の祖父がいい、職隆がいい、そして官兵衛も物事を考える際の指針とした「すべてが生き残るため」の前提条件に、子孫を残すということがあった。
 まして当時は乳幼児の死亡率は高かった。こども一人では不安でしかたがなかったろう。
 官兵衛は清廉な武将であったと思いたいがために、官兵衛は光一人を生涯愛し続けたのだと考える向きがありはしないか。
 
 長政とは10歳以上離れて弟、熊之助が誕生しているが、この子どもは本当に光の子だったのだろうか。
 熊之助は朝鮮の役のとき、単身、朝鮮に渡ろうとして時化にあい、遭難して死亡したから、あまり人の口の端にのぼることはないが、その熊之助は側室の子だった可能性はないだろうか。
 
 官兵衛に側室がいたという確かな証拠がない以上、官兵衛は側室をもたなかったのだと結論づけるしか、今のところないけれど、高山右近のような例外を除けば、当時の武将の感覚からすると、官兵衛が側室をもたなかったというのは、きわめて不自然な気がするんだがなあ、わたしは。

■ 長浜城にて

 長浜についた夜は、秀吉の家臣たちと宴会になった。今も昔も何かあると宴会である。
 
 皆、かなり酔いが回っているが、その中でも一番の大酒飲みは太兵衛である(母里太兵衛→コチラ)。

 太兵衛は、その武勇もさることながら、あの「酒は飲め飲め、飲むならば、日の本一(ひのもといち)のこの槍を、飲み取るほどに飲むならば、これぞまことの黒田節」と歌う民謡「黒田節」で有名になった。

 ある年、太兵衛は福島正則に年賀の使者にたつことになったのだが、無類の酒好きで、性粗暴な太兵衛のことであるから、正則のところで祝い酒を飲むと何をしでかすかわからないと考えた主君、長政は、太兵衛にこの日ばかりは酒を飲んではならぬと厳命した。
 
 主君の命は絶対であるから、さすがの太兵衛も、正則が飲めばなんでも好きなものをとらすといくら酒を勧めても飲もうとしない。
 業をにやした正則が、「太兵衛も噂ほどではないな。黒田武士とはたかだかその程度か」と挑発すると、太兵衛、自分のことを侮辱するならまだ我慢のしようもあるが、藩を侮辱することは許せないと、主君の禁をやぶり、黒田藩の名にかけて、三升入り漆塗りの大杯を一気に飲み干し、それでは飽き足らず、続けざまに2杯の酒盃を飲み干した。 
 
 飲み終わると、約束の褒美にと、床の間に飾ってあった、第106代正親町(おおぎまち)天皇が将軍足利義昭に下賜し、義昭から織田信長へ、信長から秀吉へ、秀吉から正則へと譲られてきた天下の名槍「日本号」を所望し、見事、これを手に入れたのである。
日本号
             (母里太兵衛と日本号)

 その太兵衛が、秀吉の弟、小一郎と酒の飲み比べをして、小一郎が先に飲みつぶれた。まだまだ、太兵衛には余裕がある。
 「それがし、酒の強さでは誰にも負けたことがござらぬ
 そう豪語する太兵衛に、今度は蜂須賀小六がつっかかった。「酒が強いだけか?」
 
小六は川並衆の親分である(蜂須賀小六→
コチラ)。まあ、当時でいえば山賊の類だ。 

 その言葉に、今度は太兵衛と秀吉の家臣との相撲比べとなった。
 太兵衛は強い。秀吉の家臣を次から次へと投げ飛ばしていく。
 「今度はわしが相手だ!」小六が太兵衛の前にたちはだかった。
 「おう!」
 がっぷり四つの好勝負となったが、最後は太兵衛が小六を投げ飛ばした。

 「あっぱれじゃ、太兵衛。わしはおことが気に入ったぞ!どうじゃ、わしの家来にならぬか。500石で召し抱えよう。そう、官兵衛。異存はあるまい
 ほかならぬ秀吉の要望である。官兵衛が答えに窮していると、太兵衛が盃をおいていった。
 「ありがたきお言葉なれど、その儀はお受けできませぬ
 「ならば、1000石でどうじゃ。それで決まりだ。わしは、今、使える家来をさがしておる。おことがどうしてもほしい。よいな、官兵衛。わしに譲ってくれるな?」
 官兵衛がますます困っていると、善助が助け舟を出した。
 「恐れながら、この太兵衛、それがしのいうことしか聞かぬ男にございまする
 
 皆さんにも思い出してほしい。太兵衛があまりにも乱暴者で、母里の名を継ぐにふさわしくないと考えた善助は、官兵衛にそのことを告げたとき、官兵衛が2人を諭して義兄弟の契りを結ばせたことを(第6回放送「信長の賭け」→
コチラ

 それならと秀吉はいった。
 「ならば、そちも一緒に召抱えようじお。それでどうじゃ
 善助は答えた。
 「われらは、羽柴様に命じられれば、どんなことでもする所存にございます。しかしながら、ただひとつ、黒田家を離れることはできませぬ」
 井上九郎右衛門もたまりかねていった。
 「たとえ百万石積まれても、われらの忠義はびくともいたしませぬ。離れるときは死ぬるときでございまする
 それを聞いて、秀吉はいうのだった。
 「わかった。わかった。今のはざれごとじゃ。酒じゃ、大いに飲め、楽しめ
 
■ 宴会がおわって

 宴会が終わって夜が更け、官兵衛と秀吉は二人だけで酒を酌み、語り合った。
 あては、なんとむかでの佃煮である。これが苦い。
 「わしはな、貧しい農民の出だ。食いつめ、針を売って飢えをしのいだこともある。あのときの苦労を忘れぬために、ときどきこうしてこの苦いむかでの佃煮を食べるんじゃ。官兵衛、そちも食うてみよ
 「なるほど、これはにごうござるな
 「そんなわしを上様は拾ってくだされた。草履取りから身を起し、なんとかひとかどのさむらいになりたいと無我夢中ででやってきた。それが今じゃ、長浜城主じゃ。よくここまでこれたとわれながら思う。まあ、これも運じゃな
 官兵衛はかぶりをふった。
 「運だけでは大名にはなれませぬ
 「それにしても、おぬし、よい家来をもっておるな。うらやましいかぎりじゃ。わしのような成り上がり者には昔からの家来がおらぬ。寄せ集めじゃ。それゆえ家中をまとめるのに苦労する。太兵衛や善助のような家来がほしいのじゃ。しつこいようじゃが、わしに譲ってくれぬか?」
 「そればかりはご容赦を。わたしも、これまで、ずいぶん、多くの家臣を失いました…」
 「それはそうと、おぬし、面白いことをもうしていたな。命の使い道とか
 「しんだ祖父の言葉です。昔、若気のいたりで、戦ってしにたいと申したところ、祖父にしかられました。命を無駄にするな。お前は命の使い道がわかっておらぬと
 「ほお、なかなかのご仁じゃな、おじじさまは

竜雷太
   (黒田重隆:間兵衛の祖父 演:竜雷太)

 「それ以来、祖父のことばをかみしめ、戦においていかに味方の兵を減じることなく、勝利を収めるか、それが肝心だと常々考えております
 「わしもそうじゃ。人こそ宝。戦わずして勝つ。それができれば一番じゃ。官兵衛、おぬしとはうまくやっていけそうだ。おぬしにあえてよかった
 「それがしも同じでございます。秀吉さまの中国攻めの足がかりになるため、播磨はなんとしてもそれがしが守ってみせます
 「頼んだぞ、官兵衛
 秀吉が官兵衛の手を取り、官兵衛がその手に手をかさねた。

            第8回放送「秀吉という男」-26.2.23ー(おわり)


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