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蜂巣賀小六 - 軍師官兵衛-NHK大河ドラマ-プラットホーム

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蜂巣賀小六

■ 司馬遼太郎著「播磨灘物語」の蜂巣賀小六

 司馬遼太郎の小説「播磨灘物語」(→コチラ)を再読している。播磨灘物語は、山崎の戦いまでの黒田官兵衛の活躍を書いた小説である。上中下3巻に分かれる。
 
 黒田官兵衛の小説本はいろいろ読んだが、やはりこの小説が劈頭だと思う。特に秀吉と官兵衛の心理の綾については、竹中半兵衛のそれをも交えながら、独特の筆致で読む者を飽かせない。さもありなんと思う。
 

 再読も下巻に入ったところであるが、下巻はあの水攻めで有名な高松城攻めにはじまる。
 高松城主は清水宗治。毛利家では外様ながらも小早川隆景の信任が厚く、戦国武将にはめずらしく信義を重んじる硬骨な武将だった。

 清水宗治の調略はほとんど不可能に近いと考えられたが、それでも秀吉側では、織田方に寝返るならば備前、備中2カ国の領有を認めるという破格の条件を提示して、清水宗治を調略しようとした。
 その使者に立ったのが、官兵衛と蜂須賀小六だった。

 司馬遼太郎はこの場面で、蜂須賀小六についてこう書いている。長文ながら引用しよう。
 

 蜂須賀小六は、尾張の西のはしの海部郡にある蜂須賀郷からでたらしいが、しかし領地といえるほどのものはもたず、若いころは尾張のあちこちの浮浪人と盟約を結び、いくさがあればどちらかにやとわれたり、または戦場で野稼ぎをしたりした。
 当時、こういう渡世を野伏(のぶせり)と呼んだが、小六はその連中の間で重んじられ、一種の勢力をなしていた。
 一時期は美濃へ流れていって斉藤道三の家来になっていたこともある。その当時の道三にとって小うるさい敵は、信長の父の信秀だったから、尾張の地下(じげ)に仲間を多くもつ小六をやとうことは、尾張事情を知る上で役に立つということもあったであろう。
 小六は道三の死後、尾張に戻って、依然としてあぶれ者たちから棟梁として立てられていた。
 若いころの信長が美濃入りを準備した時期、秀吉がまず国境の川のそばにある墨股(すのまた)に、有名な一夜城を築き、ここを織田方の橋頭堡とした。
 秀吉にとって、信長にその才幹を深く認めさせた最初のしごとが、この一夜城を可能にしたのは、小六とその仲間500人という人数だった。
 彼らは普請仕事でも働き、城の守備兵としても役に立った。小六は秀吉の推挙で織田家の家来になり、秀吉の与力になり、やがて秀吉が近江で領主になって以後は、秀吉の家来になった。
 蜂須賀小六は、痩せて、柿の渋を塗ったような顔色をしている。齢よりも老けてみえるが、まだ40代の暮れごろらしい。その言動は謙虚で、出身のわりには意外におだやかな男だった。
 官兵衛は小六と道をゆきつつ
 「感心なところのある男だ」
 と思わざるを得ない。小六は、おそらく秀吉が織田家に仕える前、放浪していたことから知っていたのであろう。
 秀吉は、信長の草履とりから出身したというが、その前の放浪時代のことを、あれだけあけっぴろげに見える男でさえ語りたがらないところをみると、よほど惨めで口に出しようもないほどの境涯にあったらしく思える。針の行商人もしていたというが、盗みをする者の世界にも入っていたのであろう。その当時から小六をしってー小六は一方の棟梁だがーいたに違いなく、ひょっとすると小六に追いつかわれていたのかもしれない。
 そのように、自分の過去を知りすぎている小六については、秀吉はどこか用心するところがあるに違いないが、小六のほうもそれをよく心得ていて、秀吉に対しても誰に対しても昔のことを語らないというところがあった。もっとも、秀吉に対する態度だけはつい昔の関係が出てしまうことがあり、ぞんざいに口をきいたりする。
 一介の浮浪児から身を起こした秀吉には譜代の家来がひとりとしているはずがなかったから、かれは小六と、かれの妻の血縁の浅野谷弥兵衛(長吉ともいい長政ともいう)をもって、この時期、譜代の双璧としてあつかっており、両人に家老のような仕事をさせていた。
 小六は並みの部門育ちではなく、あぶれ者を操縦してきたお男だけに、家来(といっても主としてもとの仲間だが)を自分にひきつけておく心遣いがこまやかであった。


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                 (蜂須賀小六)

■ 官兵衛と蜂須賀小六

 官兵衛と蜂須賀小六の縁は深い。高松城の水攻め、中国大返し、賎ヶ原の戦いと常に戦線をともにしているし、秀吉が中央に覇を唱えるようになりはじめてからの毛利との領土確定交渉も、官兵衛と小六の共同作業でおこなって成果をあげている。
 四国征伐でも、二人は相協力して重要な役割を担った。
 鳥取城の攻略後にその論功として、小六が得た領地は、官兵衛の馴染み深い播磨龍野6万石だった。
 
 私的にも二人の付き合いは浅からず、小六の娘が長政の妻となっている。もっとも、官兵衛や長政が徳川家康に接近するようになると、小六の娘を離縁して、家康の養女を長政の妻に迎えるという、チトあくどいこともしているが。
 
 小六は、木曽川の川並衆の親分だったという前身のためか、山賊の棟梁か夜盗の頭目といった取り扱いをされることが多い。野卑なところがあり、思慮分別に欠け、何事も暴力で片をつけてしまうといった人物像である。
 
 これまでのNHK大河ドラマでの小六の扱いも、弟35回「秀吉」で、プロレスラーの大仁田厚を小六役に用いたように、野伏の頭目的な描かれ方をしている。

 しかし、実際の小六は、司馬遼太郎も書いているように、思慮深い武将だったようだ。調整力にたけ、特に外交面ではその能力を遺憾なく発揮した。
 毛利との領土確定交鈔や四国征伐でも、外交官としての際立った活躍が目立つ。官兵衛もそんな小六に信頼をおいていた。

■ ピエール瀧

 さて、その小六。今年の軍師官兵衛では、ミュージシャンのピエール瀧が演じる。
 NHK大河ドラマの出演は、「龍馬伝」に続いて2回目である。
 ピエール瀧はミュージシャンではあるが、最近はマルチタレントとして活躍している。第37回(2013年)日本アカデミー賞では、「凶悪」で優秀助演男優賞を受賞した。
 
 軍師官兵衛も今週で8回を数え、すでに小六も何回か登場している。第8回では、母里太兵衛と大相撲をとる場面があった。
 
 これから、小六はどんな役柄で登場し、それをピエール瀧がどう演じるのか楽しみにしていたいと思う。
 
 最後に、そのピエール瀧が、今回、小六を演じるに当たってインタビューに答えているので紹介しておこう(NHK大河ドラマ 軍師官兵衛 完全読本→コチラから引用)。

 今作では、盗賊の首領だとか夜盗の頭目などと伝えられる蜂須賀小六を演じることになりました。竹中さんが主演された大河ドラマ「秀吉」では、プロレスラーの大仁田厚さんが小六を演じられたんですよね。どうも小六には山賊のイメージがつきまとうようで、僕も毛皮の衣装をあてがわれています(苦笑)。僕の本業はミュージシャンですが、音楽も芝居も状況次第で動きが変わるライブであることに違いはありません。今回は小六としてライブを楽しもうと思っています。
 小六には野蛮なイメージがある一方で、常に秀吉の側にいて、天下統一を陰で支えた参謀という一面もあります。今回、小六を演じるに当たって、彼について書かれた資料を読んで気づいたのですが、天下統一は秀吉ひとりが成し遂げたものではないんですよね。僕たちは秀吉イコール天下統一という先入観を持ってしまうのですが、小六やそのほかにもたくさんの人たちが秀吉の組織に所属し、その組織のトップにたっていた秀吉が天下を統一したというわけです。
 生きるか死ぬかの戦国時代だからこそ、組織で戦わないと生き残っていけなかったのではないかと感じました。小六は、秀吉の組織で傭兵部隊斡旋所のような役割を担ったと伝えられていて、過酷な時代を見事に生き残っていくわけですから、彼なりの時代の読みかたは正しかったのだと思います。容姿からは想像しがたいかもしれませんが、冷静な人だったのではないかと解釈しています。



ピエール瀧




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