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播磨灘物語① 官兵衛とキリシタン信仰 - 軍師官兵衛-NHK大河ドラマ-プラットホーム

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播磨灘物語① 官兵衛とキリシタン信仰

 司馬遼太郎の播磨灘物語を読み始めた。播磨灘物語はご存知のとおり、黒田官兵衛の一生を描いた小説である。これから、この本を読み進めながらいくらか感想を書いてみたい。
 今回は官兵衛がキリシタンとなった時期について。

■ 官兵衛のクリスチャン入信の時期は?

 黒田官兵衛孝高は黒田如水とも呼ばれる。如水は法号(仏門に入った者に授けられる名前)である。朝鮮の役で勝手に戦線を離脱し帰国したことが豊臣秀吉の逆鱗に触れ、それを知った官兵衛は恭順の意味もこめて出家するが、そのときつけた出家名である。
 官兵衛はこの如水という法号のほかに、「シメオン」というカソリックの洗礼名を持っていた。シメオンとは、イエス・キリストの最初の弟子となった聖ペトロの本名で、「聴く」とか「耳を傾ける」という意味をもっている言葉だという。
 さて、官兵衛がキリシタンに入信した時期はいつだろうか。これには諸説あって定かではない。
 宣教師ルイス・フロイスの書簡や著書「日本史」によれば、官兵衛がキリシタンになったのは、天正11年(1583年)~天正12年(1584年)頃だという。山崎の戦いで秀吉が明智光秀を破ったのが天正10年(1582年)のことだから、まさに官兵衛が秀吉の軍師として活躍している時期である。
 日本でもっとも有名なキリシタン大名、高山右近に感化されて入信したという説もある。その時期は、官兵衛が有岡城から救い出され、高山右近が旧主、荒木村重のもとを離れて、信長の家臣となった時分、天正7年(1579年)頃のことではないかという。

■ 播磨灘物語の官兵衛が入信した時期

 これに対して、司馬遼太郎の官兵衛は、もっと大分前、官兵衛が姫路城主になった当時、1565年頃に入信したことになっている。
 官兵衛のキリシタンへの想いについて、司馬遼太郎はこんな風に描いている。

 この若い播州の土豪の子(注:官兵衛のこと)が京にのぼろうとおもった理由の大きな部分は、かれの想像を超える世界が、堺や京にまできているということなのである。
キリシタンのことであった。
 官兵衛はかねてより、キリシタンのことをしばしば耳にし、そのうわさを耳を鋭ぐ(とぐ)ようにして聴く傾きがあった。
 「いままでの日本は狭かった。ひろい世界が日本にやってきている」
というのが官兵衛の感想だが、このように整理してしまえば、官兵衛の実感からほど遠い。
 ―それそのものが世界なのだ。
という直感が感動を生み、キリシタンの信仰と思想、あるいは思想像の装飾としての異国の神の名、異国の言葉、望遠鏡や絨製の衣服、人々の目をおどろかした僧侶たちの異相、僧侶たちが自分に課している厳格な戒律と敬虔さとそして他人へのやさしさ、さらにいえばかれらが万里の波濤を冒してやってきた勇敢さといったようなもののすべてが官兵衛の心をとらえていた。

 当時、官兵衛のように洗礼を受けてキリシタンになった大名は数多いが、それは心の底からキリスト教に帰依したというよりも、西欧人と交わることから得られる経済的利益や未知の世界への興味からだったということのほうが多かったようである。
 官兵衛の場合はどうだったろうか。秀吉がバテレン禁教令を発したとき、官兵衛はいち早く棄教していることからすれば、官兵衛のキリストへの帰依も後者ゆえだったということもできよう。官兵衛は高山右近と違って、神よりも現世の利益を選んだのである。
 しかし、そのようにして棄教したからといって、官兵衛のクリスチャンへの信仰が偽者だったとも思えない。信仰するということは神にすべてをささげることを意味しない。信仰にもいろいろな形がありうるはずだと私は思う。
 まあ、官兵衛とクリスチャンの関係は、これからも播磨灘物語の中でたびたびでてくることだろう。官兵衛のクリスチャンへの思いがどうで、それがどのように変化していくのか、興味をもって読み進めていきたい。

 最後に官兵衛が高山右近にはじめて会ったときの印象を描いた部分を、播磨灘物語から引用しておこう。

 (前略)・・・右近は自立心のつよい男なのであろう。村重の家来ではないことを、不必要なまでに強調するふうであった。
 「では、あなたの主は?」
 「神(でうす)でござる」
 右近は、即座にいった。
 (こういう男を、はじめてみた)
 と、官兵衛は、おどろきを覚えた。右近は神と自分のあいだに介在する者はいない、と思いつめているようであり、さらにいえば、神を信じるがゆえに自分が存在する、自分の重さはそれゆえに何者にもまして重い、と思っているのであろう。
 (時代は変わった。あたらしい人間が出てきたのだ)
 官兵衛は生まれて30年、播州の田舎にくすぶり続けていたことをこのときほど後悔したことはない。個人というものがどういうものであるかを、右近は知ってしまっているようなのである。
 官兵衛は、かさねて聞いた。
 「地上の主は?」
 「織田どのでござる」
 右近は、いった。村重とはいわず、織田どのが主だといったのは、あるいは織田どのがキリシタンの外護者(げごしゃ)であるからなのか。官兵衛はそこまで踏み込んで問い重ねるのは遠慮したが、ともかくも、右近によってあたらしい人間の出現を知ったし、さらに信長が時代のひとびとの心を捉えている別の面をみた思いもした。



               

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