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播磨灘物語② 和田惟政の死 - 軍師官兵衛-NHK大河ドラマ-プラットホーム

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播磨灘物語② 和田惟政の死

■ 中川清秀と和田惟政
 
 これはどうしたことだろう。大きな物語の流れを追わないで、あまり瑣末なところに拘泥すると、物語そのものの面白さが減殺されるから、あまりそういうことはしたくないのだが、やはり気になる。
 播磨物語にでてくる和田惟政の死に関する記述がどうにも整合性がとれていないと思うのである。

 私の地元は大阪の茨木である。戦国時代、この茨木を本拠にしていた戦国武将は茨木城主、中川瀬兵衛清秀だったことから、このサイトでも中川清秀について、すこし詳しく書いてきた(→中川清秀)。
 茨木市を貫流する茨木川と勝尾寺の合流するあたりは白井河原と呼ばれていて、そこで、当時、室町将軍足利義昭に属していた和田惟政の軍勢と、池田城を本拠とする荒木村重、中川清秀の軍勢が激突し、和田惟政は中川清秀に討ち取られるのだが、そのことに関する播磨灘物語の記述に整合性がないのである。


 (白井河原合戦跡地についての当サイトの記載)
 
 で、昨日、通勤途上に立ち寄ると、案の上、そこがまさに白井河原でした。何か嬉しかったですね。歴史が急に身近に思えました。
 500年近く前、この場所で池田を居城とする荒木軍が和田惟政と合戦に及んだのだと思いながら河川敷をみやると、何かそのときの情景が目に浮かんでくるようにさえ思えました。
 合戦跡地には、茨木市教育委員会の説明文が記念碑の横に建てられています。

250531白井河原①

 デジカメでは十分に文字が読めませんので、以下に碑文の内容を掲載しておきます。

■ 白井合戦跡地碑文

                 白井河原合戦跡

 この茨木川をはさんで付近一帯を「白井河原」といい、茨木、伊丹両氏と、池田氏とが歴史上の合戦をしたところです。
 茨木方を支持する和田伊賀守惟政と池田方の荒木摂津守村重、中川瀬兵衛ら池田21人衆との対立となり、元亀2年(1571年)8月、ついにこの白井河原で激突しました。
 このとき、和田勢500余騎、池田勢2500余騎が相対しましたが、和田軍はまだ戦列が整っていませんでした。そこで、部下の一人、高利平太夫(郡平太夫)が時間かせぎをしようとしましたが、その計略を見破られたため主君惟政に「多勢に無勢…」などと進言しました。しかし、惟政これを聞き入れず、後続軍の到着を待たずに200余騎の小数で突撃しましたが、このとき惟政は、池田方の武将、中川瀬兵衛に討ちとられました。主君を失った和田・茨木の朗等たちは「主を討たせてどうして生き残れようか」と切ってでて討ち死にしたので、「白井河原は名のみにして、唐紅いの流れとなる」ほど赤い血に染まったそうです。


 以上が当サイトの記載である。

■ 播磨灘物語にみる和田惟政の死

 司馬遼太郎は、和田惟政の死について、こう描いている。
 

義昭の旧幕臣のうち、能ある連中では、和田惟政の行動が例外的であった。かれはそのちっぽけな高槻城を補修し、それに拠り、狂気ともいうべき抵抗を信長に示したのである。援軍はなく、他とも同盟せず、まったく弧城でもって戦ったのは、一片の義気によるものであろう。籠城して果敢に戦い、やがてやぶれた。惟政は城外でとらえられたが、その宗義によって自殺はせず(注:司馬遼太郎は惟政がクリスチャンだったとしている)、首をはねられた。官兵衛はこの伝聞を聞いた御着にあって(注:御着とは官兵衛が家老を勤める小寺家の居城「御着城」のこと)神(でうす)に祈り、祈り終わったあと、ひとつの時代が去ったと思った。

 
 他方で、司馬遼太郎は、官兵衛が中川清秀に初めて会ったときのことをこう描いている。
 

荒木村重というのは、ひとを応接するのにじつにゆきとどいたことをする男らしい。
 城門までくると、番小屋のそばに身分ありげな武将が、家来数人をかがませて立っていた。官兵衛を城内に案内するために待っていたのである。
 「中川瀬兵衛でござる」
 と、その男がわずかに頭を下げた。
 (この男が、中川瀬兵衛か)
 と、官兵衛は顔色にこそ出さなかったが、胸中、異様な思いが渦巻いた。官兵衛の親友だった和田惟政を討ち取った男である。
 (・・・中略・・・)
 瀬兵衛は、和田惟政が夜陰淀川べりに単騎偵察にきたところを討ち取ったともいわれ、他の伝聞では、合戦中、和田の陣に横槍(側面攻撃)を入れて討ち取ったともいわれる。
 いずれにしても、官兵衛にとっては親友を討った男でもあり、武門の習いからいえば懐かしくもあり、一個の感情としてはおぞましくもある。

 
 前者の惟政は、高槻城の籠城し、討ってでたところを捕らえられ、首をはねられたことになっていて、後者の惟政は、中川清秀に討たれたことになっている。
 これはどう考えても矛盾していると思うのだが、司馬遼太郎ほどの人がそんなミスを犯すことは考え難いし・・・。はて、これはどうしたことだろう。合理的な説明があるのなら、是非に誰かにお聞きしたいものである。


               

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