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NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」を楽しむサイトです
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「・・・(前略)・・・ともかくも、そういう秀吉が、この播州攻めというかれの人生の一段階において、それ以前にはかれを把らえたことのない嫉妬という感情をもつにいたる。そのぶんだけ、かれの透明度が曇ったといえるかもしれない。
それ以前の秀吉は、信長に仕えることに懸命で、さらには織田家のあらゆる家臣が、かっての自分よりも上の身分であったために、それらへの競争心をおこしても嫉妬心は出てこなかった。
秀吉が、信長によって長浜20万石という大名にされてからのはじめての大仕事は、この播州でのことどもである。
播州人からみれば、
― 羽柴など、なにやら、どこからか舞いおりてきたような。
というのが、共通の印象だった。秀吉自身も、わが身のことながらそう思っている。天の一角から、それまで縁もなかった播州に舞い降り、姫路という耳馴れぬ地名の郷(さと)を橋頭堡として、7500の兵とともに、ちょうど水草のように浮かんでいる。
なじみもなく、気心も知れぬ土地に、突如きて腰をおろすという放胆なことができたのも、官兵衛のおかげである。
その後、播州の政治工作は官兵衛にまかせておけばよいと思った。むかし、信長が、美濃に対する政治工作を自分にまかせてくれたように、である。
官兵衛はよくやった。
その情報分析力には秀吉も舌を巻き、打つべき手にそつはなく、ときに意外な発想の奇手を用いるが、よく聞けば意外ではなく、堅牢な現状認識から出ている。
(むかしのおれと同じだ)
と、秀吉は思ったし、ときにおれ以上ではないかと思うこともあり、さらには官兵衛には身についた教養というものがあって、そのことは秀吉の及ばぬところだった。
(馬上の槍働きができぬところも、わしに似ている)
何もかも似ていて、しかも才がときに秀吉より大きく感じられるのは、どういうことであろう。それに、40の坂をいくつか越えてしまった秀吉にとって、官兵衛がまだ30歳そこそこというのがうらやましい。ようやく肉体の衰えを感じている秀吉からみれば、官兵衛の前途には陽光に満ちた春秋が富んでいるように見える。
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